幻燈

Try to remember your only forgotten dreams. ―映画『敦煌』―

©一色一成

2021年のことですが、ずっとずっと探していた本をやっと手に入れられたのです。
『中川安奈 オン シルクロード ー東から西へ 西から東へー』は1988年4月30日に初版が刷られ、当時、世間は超大作映画『敦煌』の話題で持ちきりでした。
私はこの、映画デビュー作でヒロインを勝ち取った中川安奈、彼女を被写体にシルクロードを舞台にモノクロで写し取った写真集を書店で見つけるなり、一目で魅せられました。
なんてきれいなひとなんだろう。
敦煌、吐魯蕃、烏魯木斉、洋の東西の交わるところ、なんて魂を揺さぶる響きなんだろう。

©一色一成

11世紀、北宋時代の中国。科挙に落ちた趙行徳が、中国北西部の西夏の女と出会ったことにより幻の西夏文字を追う旅に促され、その途中、西夏の傭兵の漢人部隊に拉致され、みずからも傭兵に組み入れられてしまう。
部隊長の朱王礼は趙行徳の識字力を買い、「名無しの死体になりたくない」と、その衣服に名を記させた。

©一色一成

西夏は隣国ウイグルの牙城の甘州を攻め落とし、生き残ったウイグルの王女ツルピアを、趙行徳は匿った。

©一色一成

しかし、趙行徳は西夏文字の編纂事業に携わるためにツルピアを朱王礼に託し、西夏の都イルガイへ旅立たざるを得なくなった。

©一色一成

数年後、趙行徳が甘州へ戻ってきたとき、ツルピアは父王の仇である西夏皇太子の李元昊に召されていた。
ツルピアは婚礼の日に李元昊の暗殺を謀ったが敗れ、城壁から身を投げた。

©一色一成

朱王礼も、ツルピアを愛していた。
李元昊に為す術なく、奪われた。

©一色一成

シルクロード文化の駘蕩する敦煌。
李元昊に反旗を翻すも及ばず、朱王礼は手勢の軍と共に敗死。

趙行徳にできること、皆が懸命に生きた思いを残す、ただそれのみ。
敦煌の莫高窟へ、典籍と共に、ツルピアの形見の首飾りを塗り籠める、ツルピアの思いを護る、ただそれのみ。

©一色一成

映画『敦煌』は井上靖の小説が原作。1988年6月に封切られたこの映画は、正直、好き嫌いが分かれるでしょう。
私は、この映画を観て、ただただシルクロードの文化に心を奪われつくしました。
つまり私はこの映画が、好きなのです。

主役の趙行徳は佐藤浩市さんで、西夏文字に魅了されるインテリとはイメージが違うとも思いましたが、映画を観ているうちにだんだんと、趙行徳はやむなしとはいえ外人部隊の傭兵として戦うくらいの男だからこういう苦み走った青年で良いかも、と思い直せました。

準主役の朱王礼の西田敏行さんはもう、ほんっとうに、かっこよくて、この映画は西田さんを観るだけでお金を払う意義はありました。
西田さんの役者魂なくては成り立たない映画だったと思います。

西夏の女は三田佳子さんで、主人公の行く末を左右する運命の女らしくとんでもなく美しいのですが、どこをどう見たって漢人の女、チベット系タングート族の西夏の女には見えないのです。
三田佳子さんは色白で立派過ぎて、まるで北宋貴族の女のようでした。
原作では西夏の女は市場で裸に剥かれた若い女で、当時なら風吹ジュンさんがベストだったんじゃないかな、と。野性的で、神秘的で。

あと、西夏の女を売ろうとしている無頼漢役の綿引勝彦さん、渋かった。
脇で光ったのは、于闐王家の末裔と嘯く尉遅光役の原田大二郎さんの役作り、瞠目もの。
敦煌太守曹延恵役の田村高廣さん、これは兄の曹賢順も出さないとせっかくの不気味さが半減。

西夏皇太子、李元昊、渡瀬恒彦さん。
謎めいた西夏という国。その謎を極めたまま、しゃべらないでほしかった。
台詞は要らなかったと思うのです、冷酷無情な覇王として。

最後に、ウイグル王女ツルピア役の中川安奈さん。
エキゾチックな風貌はその身に流れる4分の1のドイツの血のため。中学生だった私には、真実シルクロードの人に見えました。
当時、原作の小説の文庫本の表紙にも中川安奈さんが据えられ、劇的な印象を万民に与えていました。

中川安奈さんが2014年に49歳の若さで病死されたとき、そのときから私はこの写真集を探し始めていたのだと思います。

中学生のおこづかいでは買えなかった写真集、沙漠に落ちた星のようにうつくしいひと、あこがれの。

やっと星が私の手もとに、30年の時を経て、私の意識を照らしてくれる、石や山に刻まれた宝のように。

私はツルピア、ウイグルの王女。奥津城は、東から西、西から東、男たちの夢通うところ――「河西回廊」のオアシス、甘州。西に敦煌の見えるところ。
私はツルピア。東と西、西と東、人々の夢と風の通い路、ウイグルの王女。オアシスの奥津城に瞑るもの。

一色一成『中川安奈 オン シルクロード ー東から西へ 西から東へー』