飛鳥へ

一期一会の奈良の旅

中宮寺 菩薩半跏像 ⒸWikipedia

もし、それがたった一度だけ許された奈良への旅ならば、私はどこへ向かうとしよう。
一期一会、次がない旅ならば、胸に焼きつけるべき奈良の光景は。

原風景、私の最も古い記憶は、夕陽の沈む二上山(ふたかみやま)。
長いことこの拙いブログをお読みいただいている方なら、うっすら気づいておられるのでは。私が安定した幼少期を過ごしていないと。
人の思いではどうにもならないことがある。
私は3歳で字を覚えたときからそれを言葉でも感情でも理性でも理解できていました。
だから、若くして命を絶たれたあの皇子が眠る、あの山ばかり、見つめていました。
私ひとりが不幸な子どもではない、と。

當麻寺を懐に抱く二上山から金剛葛城、そして吉野。やはりHomeで、落ち着きます。
私の大好きな葛城磐之媛、古代豪族葛城氏の女王の奥津城、いつか明らかになることを願って。
飛鳥の都は私には、葛城氏の山城から睥睨するもの。
吉野山は花咲く修験道の入り口、丹生川上神社三社に坐(いま)す水神の牙城、縄文時代からの水の祭祀場、役行者が領(うしは)く山の王国、吉野。
持統天皇と役小角との関わり、小躍りさせられます。
まだ推論の域ですが持統天皇には吉野に大勢の仲間がいたようで、藤原不比等がどうしてそれを正史から隠匿したのか、その理由、わかるような気がするのです。
飛鳥から吉野まで、私の希望と野望の血脈。

三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや

山中智恵子『みずかありなむ』

天才歌人とはこの人のことを言う。私には柿本人麻呂と和泉式部に並ぶ、それが山中智恵子です。
月を最初に月と呼んだ、名付けた者は。
よくもそんな恐ろしいことを覚えている、この本物の歌人、本物の預言者、本物の子ども、本物の巫女は。
凡人がいくら手を変え品を変えても、歌人として言葉を預けられた者として余儀なく生まれ落とされた天才の寝言ひとつの足元にも及びはしない。
三輪山に立つ月。私の母方の祖母のルーツは三輪です。三輪から長谷が私の旅心の起源で、あの山のふもとで遊ぶと、もっと東へ、もっと東へ、そんな旅への焦がれが湧き、帰りたくなくなった記憶があります。
三輪山の向こう、東の空、月を最初に言葉で捕まえた者を追って。

東大寺では、私を奈良大学通信へいざなった、星雲のごとき鎮壇具の群れを目で愛でる。
いかないで、いかないで、そう嘆いたこの国の父と母の声なき声が聞こえてきそうな、1300年経っても。
ちいさなちいさな皇子。否、おおきなおおきな守り神。
私はそう捉えているのです、東大寺の「あるじ」を。
最も弱く儚い命こそ讃えた東大寺が本邦随一の寺であることに、誰に異存があるでしょう。

中宮寺 菩薩半跏像 ⒸWikipedia

西ノ京の薬師寺と唐招提寺、そして斑鳩、法隆寺。大和の古寺は、古代の王家の悲喜交々を今の世まで伝えます。
この世に生まれ落ちた者は皆、誰一人洩れることなく等しく悲しい。
他者への想像力は、自身へ循環される。
私だって悲しい。誰だって悲しい。
それでも、斑鳩に坐す弥勒菩薩、未来を夢見る仏は、半ば目を閉じ静かに笑う。

私はあなたのそばにいる。それ以上は何もしない。
それでも、そばにいる。

行きて負ふかなしみぞここ鳥髪に雪降るさらば明日も降りなむ

山中智恵子『みずかありなむ』