波斯へ

夢の全てを虚しいと言うな

このペルシア語の文を書いたのは2023年の9月。同年1月にイラン大使館主催のペルシア語講座をオンラインで習い始め、9か月。ここまでペルシア語ができるようになるのですね。外国語大学の生徒さんには噴飯物でしょうが。
習えば習うほど、ペルシア語は目にも耳にも舌にも美しく柔らかく、好きになります。

アレクサンドロス大王は、アケメネス朝ペルシア帝国にとっては侵略者です。しかし、当事者のイランを始めイスラーム世界では英雄と見なされています。
その顛末だけでも世界中の権威が研究に勤しまれています。私も興味津々の、果てしなく壮大なテーマです。

アレクサンドロス大王、イランでは「اسکندر مقدونی(エスキャンダレ・マクェドニー:マケドニア人のイスカンダル)」と呼ぶのがpopularです。
شاه(シャー:王)、شاهنشاه(シャーハンシャー:諸王の王)、پادشاه(パードシャー:君主)、 کبیر(カビール:大王)など、アレクサンドロス大王を差す称号はほかにもありますが、マケドニア人のイスカンダルが、最も且つ尤もかと。

さて、私がペルシア語を習う理由は、もうひとつ。

On n’est pas sérieux, quand on a dix-sept ans.

17歳、堅気でなんかいられない。

アルチュール・ランボオ『Roman』

ランボオの詩『Roman』の冒頭を意訳しました。
これ、誰かもどこかでsérieuxを堅気と和訳していたような。

フランス語を習っていたとき、フランス語とペルシア語は似ていると話題にのぼりました。
そのときは、アーベーセーを覚えるだけで精一杯だったので、ペルシア語にまで気を払えませんでした。

夢の全てを虚しいと言うな。
君の見る夢、世の中の見る夢の全てが、消え去る幻に過ぎない、とも言い切れないのだから。
そこに真実などひとかけらもない、などと決して言い切れるものではないのだから。

修行者達の群れの中に、真のファキール(求道者)が隠れている。
たった一人だけ見つければよいのだ、大勢見つける必要はないのだ。
よく探せ、そうすればきっと見つかるだろうから。

ルーミー『泥中の蓮』

levha.netより拝借したルーミーの詩『泥中の蓮』の邦訳。
私は大好きなルーミーの詩をいつか原文で味わうため、こつこつとペルシア文字を辿ることを決めたのです。
私にはアレクサンドロス大王と同じくらい大切な存在、それが、かの昔のバクトリアの地、アフガニスタンのバルフで生まれたルーミーなのです。
ルーミーはペルシア文学界のみならず汎世界的な詩人で、ブラッド・ピットもルーミーの詩のファンです。

There exists a field, beyond all notions of right and wrong. I will meet you there.

正しさと誤りの概念を超えたところに、野原がある。そこで君と会うだろう。

コールマン・バークス英訳のルーミーの詩、ブラッド・ピットの右腕に刺青された。

尽きせぬ泉のような言葉のつらなり。
うっとりさせてくれると同時に何かを目覚めさせてくれる。
これが原文で味わえたならどんなにか。

フランス語はランボオ。
イタリア語はピコ・デッラ・ミランドラ。
ドイツ語はヴィトゲンシュタイン。
ロシア語はドストエフスキー。
ラテン語はハドリアヌス帝。
ギリシア語はミケーネ遺跡の粘土板。
好きな文書の「初出し」を知りたくて、その言語のせめてイロハは覚えてきました。

私は学校という組織は嫌いでしたが、勉強そのものは好きでしたし、これからも好きなままでしょう。

うぶだし。
いい言葉です。
日本語を母国語としている事実にも、感謝です。

مسجد نصیر الملک ⒸWikipedia

マスジェデ・ナスィーロル・モルク、呼称はローズ・モスク、イランはシーラーズの超絶美麗な礼拝堂です。
あー、行きたい! 
いま、世界中でいちばん行きたい場所!

イランは西側諸国には「やばい」国家と認識されています。
……おう、やばくてけっこう。

実は、イランと日本は仲が良いのです、政治的にも。
この極めて美しい国、ひとりじめしたい、誰にも知られたくない、とは私の本心。