波斯へ

命じられたのなら、従うしかない。

思えば、私がイランやペルシアを含むオリエントの魅力に目覚めさせられたのは、20代の頃にイタリア半島を1ヶ月ほど旅したときでした。

当時、ローマの法王庁のドームのてっぺん辺りに素晴らしいカメオを廉価で扱う店があり、そこで修道女相手に求めている品の特徴をヘタクソな英語で説明していたとき、ゲルマン民族らしき40歳ほどの女性が私の意図を汲んで、代わりにイタリア語で修道女へ説明してくれたのです。

私が頭を下げると「謝らなくていいから、もっと語学を勉強しなさい。英語じゃなく、イタリアに来たならイタリア語を話しなさい」と彼女は返し、ふと思いついたように「あなた、イタリアは、どこが良かった?」と私に問いかけてきました。

「ヴェネツィアとアマルフィ。今回は行けなかったけれど、シチリアのパレルモは次の機会に」と私が答えると、「ふうん、ヴェネツィアもアマルフィもパレルモも、ムスリムの影響が著しい都市だこと。あなた、それ、気づいていた?」と彼女は私へ試すように再び問いかけてきました。

気づいていませんでした。
ギリシアと共に西洋文化の母なるイタリアで、まさかイスラーム文化に魅せられていたとは。

©O-DAN

金髪碧眼、よく灼けた肌のゲルマン民族らしき女性は、茫然と突っ立つ私へ向け、にんまりと笑うなり、法王庁のドームの階段を降りていきました。
中世生まれのコスモポリタン、神聖ローマ皇帝兼シチリア王のフリードリヒ2世とは、あんな感じの人物だったのではないかと、今でも思えて止まないのです。
あんな感じとは、要するに、視野が広く視点が高く、そして物事を見抜く眼の鋭いこと。


東から西へ来て、西から東へ行けと、命じられたような。

命じられたのなら、従うしかない。
私はけっこう素直なのです。