かたたがえ飛鳥へ

2025.5.4 私ひとり生き残ってしまった

2025年5月4日、三重県津市美杉町へ。伊勢国司北畠氏の館跡、北畠氏を祭神とする北畠神社へ。奈良県の東北部の高原地帯に隣接した、美しい山間の細長い盆地に、北畠神社は鎮座ましまして。

鳥居をくぐり、左手は北畠氏の山城、霧山城跡へ向かう道。かなり険しい山道とのことで、軽装の今日は無論、向かいません。

右手の道、北畠神社への参道です。往来する街道と平行する参道、まるで歌舞伎の花道のよう。

あー、なんて広い、緑の美しい境内。

拝殿は意外とこぢんまりとしていて。

――あれ? 私、ここ、来たことある? いや、初めてのはず。

いやいや、もしかして、かなり幼いころに来たこと、あるかも――

拝殿に掲げられた、なんとまあ、大きな天狗のお面。なんでまた?

なるほど、大和吉野の修験者あっての北畠氏、ということか。

この山間の盆地、伊勢にも吉野にも、馬を走らせたら小一時間で着く。南朝の重臣であることが、北畠氏の存在意義だったと。

北畠親房の息子、北畠顕家の弟、北畠顕能が伊勢国司北畠氏の祖。13歳から、南朝の武将として戦い続けた人生だったと。

吉野神宮、鎌倉宮、阿部野神社、北畠神社、まだ4社しかお参りできていない。これも、「人生やり残したリスト」に入れないと。四条畷神社と湊川神社は畿内だから、近いうちに向かおう。

あの美しい緑、北畠氏館跡庭園。先に中世の遺構を観に行ってから、庭園へ。

阿部野神社の北畠顕家の像とまったく同じものです。顕家さんが亡くなってから北畠氏は伊勢国司となったわけですが、心の支えとして皆が顕家さんを仰いだのでしょう。

せっかく見つかったのに、中世の館跡の遺構、ことごとく埋め戻されていました。

しかし、この境内、やたら緑が美しい。清潔に掃き清められ、氏子さんたちが何人も出入りされていて、大切にされている神社だと。

拝観料を社務所で支払って、さあ、庭園へ。

手入れの行き届いた庭、とても綺麗!

植栽の手入れはもちろん、池の水が澄み渡っています。

私のいちばん好きな色、生まれたての蝉の翅の色した柔らかい緑色。

視力どころか、手術した瞼の傷も、癒えるような。

枯山水、つまり水を用いず石だけで作った庭でもあり。

織田信長に乗っ取られ滅亡した伊勢国司北畠氏。焼き討ちで館は一掃せしめられ、庭園も放置されるがまま数百年、樹々は勝手に自生したものだそう。

だから、ちょっと不思議な枯山水の庭園となったわけ。

自生した植栽も、敢えてそのまま、そこがいい。

息子、池の鯉を呼び寄せる術を知らず。「手でパンパンと鳴らしてみ」と教えてあげました。「わあ、寄って来た!」と息子。

少年、まだまだなんにも知らないね。

素晴らしいなあ、池まで丁寧に清潔に保たれた、こんな清澄な日本庭園、あまりない。

織田信長の息子の信雄に、北畠具教の娘の雪姫が輿入れし、同盟を結んでいたはずが。先に裏切ったのは北畠だと言うのが織田の言い分で。

まあ、そうだろうな、とは思います。闘う公家から始まった名門の北畠が、斯波の家臣風情の織田と組すなんて、有り得ない、と。

あと、意外と信長は約束をたがえない、それが戦国時代の歴史に疎い私でも知っている事実なので。

雪姫は夫の信雄に木に縛り付けられていたのを、白狐に助けられ、山へ逃げ落ちていったとか。

一族皆殺しに遭った北畠氏。せめて姫君だけでも逃げおおせてほしいとは、世情というものでしょうか。

うつろう石の声、か。さすがブン屋さん、うまいこと言います。

この美しい山間の村、信長と秀吉の手勢で焼け落ち、壊滅させられた城下町の成れの果て、とは。

八手俣川に張られた鯉のぼりの群れ、あの奥手の北畠神社は元より、昨日今日と、北畠氏を追いかけて、大阪と三重の県境を跨いだのは、その公家大名の興亡を臨みたかったから。

勝てぬ戦に息切らし あなたに身を焦がした日々
忘れちゃったら私じゃなくなる
教えて 正しいサヨナラの仕方を

宇多田ヒカル『真夏の通り雨』

ああ、私、思い出した、ここにいた、幼いわけがない、ただ若かっただけのこと。
忘れていた。
忘れていたのに。

――私ひとり生き残ってしまった――

宇多田ヒカル - 真夏の通り雨
"MVディレクター 柘植泰人(つげ・やすひと) <RELEASE>--------------------------------------------------------「花束を君に」(NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」主題歌)「...
: 2025.5.4 私ひとり生き残ってしまった