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2025.5.24 あなたを見た瞬間、冒険が始まると思った。 ―国宝を巡って in 京都―

2025年5月24日、京都へ。昨日と同じく、Sさんとご一緒です。土曜日でも通勤通学時間の電車は混んでいるので、待ち合わせ場所の大和西大寺駅から京都駅まで特急に乗ったので、これまた旅気分。いや、東京から来寧されたSさんは正真正銘、旅のただなか、なのですが。

お目当ての龍谷ミュージアムの開館まで時間があったので、最寄りの西本願寺へ。私は仏教系の私立の女子高に通っていて、高校入学と同時にここ西本願寺で仏弟子となるための儀式「おかみそり」を受けていました。形だけ剃髪する、剃刀の背をちょんちょんと頭のてっぺんにあてる、そんな儀式です。

なぜか、あれ以来、西本願寺をお参りしたことはなかった、実に36年ぶり、と感慨無量。

「瓊花さんは出家されていたんだね」と仰るSさんに、私、黙って笑うしかなく。

15歳で仏弟子になっていた。そんなこと、すっかり忘れてしまっていた。

龍谷ミュージアム、開館。龍谷大学の博物館なのですが、その設備と収蔵品のハイクオリティなこと、私も奈良大学通信教育部のシルクロード学ご担当教官に示唆されて以来、来館が念願の場所であったのです。

Ⓒ龍谷ミュージアム
Ⓒ龍谷ミュージアム

展示は2階と3階の二部構成。春季企画展「大谷探検隊 吉川小一郎 ―探求と忍耐 その人間像に迫る―」は3階で、シリーズ展「仏教の思想と文化」は2階で開催されていました。トルファンのアスターナ古墳の遺物を始め、いずれもシルクロードと仏教の魅力のかたまりのような展示で、私を誘惑するだけする内容、酔いそうでした。

2階には、高さ3.5m、長さ約15mのベゼクリク石窟寺院の大回廊を原寸大で復元展示しているコーナーが。正直、展覧会の内容より、このシルクロードの復元壁画に私の全神経は持っていかれてしまいました。

なんて、なんて、素晴らしいのか。

釈迦の足元に跪いているのは、ソグド人の商人です。本物の壁画は、ドイツ人のアルベルト・ル・コックがひっぱがしてベルリンへ持ち帰り、そこで第二次世界大戦の爆撃により、焼失しました。

ベゼクリク石窟大回廊復元展示

ベゼクリク石窟大回廊復元展示

中国・新疆ウイグル自治区のトルファン郊外にあるベゼクリク石窟寺院。ベゼクリクとは、ウイグル語で「絵のあるところ」という意味です。かつて寺院内部は華麗な壁画で飾られていたのです。しかし、20世紀初頭にベゼクリクを調査した各国の探検隊がそこで目にしたものは・・・。寺院は荒れはて、破壊が進行していました。壁画はどんどん失われていたのです。壁画のもつ高い芸術性・宗教性に気付いた各国の探検隊は壁画を自国で保存する決断をします。その結果、貴重な文化遺産は現地から離れてしまいました。

ベゼクリク石窟寺院

壁画が描かれた当時の様子はどのようなものだったのでしょう。ベゼクリク石窟の始まりは6世紀頃と言われますが、現存する石窟の多くは10~13世紀頃の西ウイグル王国の時代に属します。とりわけ11世紀頃に造られた回廊壁画は特異なもので、ウイグル仏教芸術の白眉といえるものです。

ベゼクリク石窟大回廊復元展示

本学では、2001年に開設した「古典籍デジタルアーカイブ研究センター」の岡田至弘・理工学部教授が中心となって、ベゼクリク石窟寺院の中の第15号窟(ドイツ隊編号4号窟)に描かれた仏教壁画のデジタル復元にNHKと共同で取り組み、約1年半の歳月をかけて完成した映像は、NHK新シルクロード第2集『トルファン-灼熱の大画廊』で紹介されました。

今回、その第15号窟の回廊を原寸大で復元展示します。復元する大回廊は、高さ約3.5m、長さ約15mで、「コの字形」になっている実際の回廊を「L字形」とし、約3mの巨大な仏教壁画を9面配置します。ほのかな光で鮮やかに浮かび上がる仏教壁画と対面し、実際にベゼクリク石窟寺院の回廊に入ったかのような体験をしていただきます。

龍谷ミュージアム ホームページ

Sさんが昨年シルクロードの旅でベゼクリク千仏洞を訪れていらっしゃったことをその後ろ姿から思い出すなり、トルファンの気温40℃の灼熱に炙られた砂混じりの風の匂い、幻臭を覚え、身勝手な妄想にふけらずにはいられなくなりました。

この空間、11世紀の西ウイグル王国、トルコ系遊牧民がマニ教の流れを汲みつつ仏教を奉じたタクラマカン沙漠のオアシス都市、私もその地に降り立つことが叶った、たった今、時も場所も超えた、そんな沙漠の幻想こそ真実のようで、何が現実なのかも夢のよう、と。

雨が降ってきたのですが、もうせっかくなので、国宝展を二都制覇することに。そう、やって来ました、京博、京都国立博物館へ。

Sさん、京博は初めて。私は、京博へ来るのはもしかしたら、10代以来かもしれない。

私にとって今日という日は、10代の失われた記憶を呼び覚ます日なのか。

甘いよりは、苦い日々だったと。その苦さも、もう、甘いような。

大阪・関西万博開催記念特別展「日本、美のるつぼ ―異文化交流の軌跡―」観覧。展示200件のうち国宝19件、重要文化財53件、その大量の展示に、充実の代償として、へっとへとになりました。京博は、奈良博より規模が大きく、広く、展示室も多いのです。

しかし、奈良博の圧倒的な国宝の数に圧されたのか、京博は奈良博ほど長蛇の列の観覧客ではなかったです。

Ⓒ京都国立博物館
Ⓒ京都国立博物館
Ⓒ京都国立博物館

やっぱり、北斎と宗達の人心掌握そのものの魅力には敵わない。でも、やはりやはり、埴輪や銅鐸の古代遺物に私はどうしても惹かれてしまう。特に、野洲市の国宝の銅鐸の健全かつ威風堂々たること、ため息が出る。醍醐天皇が作らせた、空海が持ち帰った唐の経を納めるための蒔絵箱にびっしり描かれた迦陵頻伽、その可愛らしいこと、麗しいこと。小ぶりな秀吉のマント、細川忠興のガラシャ哀悼の鐘、異文化交流これ如何に。雪舟の天橋立図が観たかったのですが、これは6月以降の展示。国宝華厳宗祖師絵伝義湘絵は、明恵上人の栂尾高山寺所蔵の逸品。後白河法皇が作らせた、吉備大臣入唐絵巻は、もう圧巻のばかばかしさと面白さ、ボストン美術館からの里帰りの品で、これも国際交流の一環。

唯一、写真撮影が許可されていた、京都万福寺所蔵の十八羅漢坐像のうち羅怙羅尊者像。このなかなか狙い定めたような仏像を、撮影許可の対象にするのは、京博のespritというものでしょうか。

京博のミュージアムショップもまるで百貨店の催物会場のよう、グッズであふれかえっていました。数が多いと余計に数を絞りたくなるのはどうしてなのか。で、ここでも買ったのはポストカードだけ。

昨日今日と、特に今日は旅だった。京都駅の地下で別れたはずのSさんと、近鉄電車で再びめぐりあったときは、呆気に取られてしまった。ちょうど今日のお開きのメッセージを送信した瞬間だったから。このひととは、さよならできないのか、と。「縁が深いね」とSさんは仰ったけれど、Sさんとはほんとうに、運命のいたずらみたいなシチュエーションに、いつも見舞われる。

昨日今日と、自分自身のなかへ旅をしてしまったから、苦くて切ない記憶を呼び覚ましてしまったとしたら、私には、京都は切なさを乗り超えた甘い蜜のしたたるものとなった、そう自分を赦しても良いころ、なのだろうか。

抜け落ちた記憶、覚えていないだけの、必死で忘れただけの。

忘れたのに、忘れていたのに。

必死で。

あなたを見た瞬間、冒険が始まると思った。

A・A・ミルン