
2025年5月23日、金曜日ですが有給を取って、奈良大学の学友のSさんと近鉄奈良駅の行基さんの前で待ち合わせ。目的は無論、奈良国立博物館開館130周年記念特別展「超 国宝 ―祈りのかがやき―」観覧。空前絶後の仏教および神道の美術国宝が目白押しの、もう二度とないくらい最高の展示内容。
9時30分開館と同時刻でオンライン予約いただいていたのですが、1時間前には並んで大正解。予約枠にどれだけの大人数を押し込めたの! と驚くほど長蛇の列になったので。
さても、歴史と文化を探求する学友と一緒に博物館観覧をするのは大正解だな、と改めて思いました。歓談しているうちに1時間の待ち時間なんて、あっと言う間に過ぎたので。

ああ、それにしても、今回の国宝展、奈良国立博物館の本気度が半端なく。およそ140件の展示品のうち、なんと110件が国宝、20件が重要文化財という、信じられないほど純度の高い国宝展なのだから。
お宝の群れから私が最も目も心も奪われたのは、法隆寺の百済観音。まあ、いつも法隆寺の宝物館で拝観していたときより、段違いにドラマティックなライティングで、360度ぐるりと眺められるシークエンスが奈良博の展示の目玉で、息を呑みました。
百済観音、その水煙のような長身痩躯の立ち姿、うちの息子に似ていると思いました。あと、すらりと洗練されたその物腰、今日ご一緒させていただいている学友のSさんにも似ている、と。
ほかにも、私の人生で出逢い立ち止まり触れ合い振り返り通り過ぎた幾人かの大切なひとびとに、この柔和でスマートな百済観音は似ていると、胸が熱く痛くなる思いがしました。
みんな、逝ってしまった、慈しみ尊んでやまないひとばかりだった、と。

110件の国宝のひとつひとつのレベルもとてつもなく高く、その国宝ひとつで既に立派な展覧会が開催できるほど。例えば、運慶のデビュー作の大日如来。もう、こんな精神性の高い仏像、25歳で作ってしまうのだから天才としか形容できない、運慶は。私の奈良大学通信教育部における卒業論文の題材の東大寺金堂鎮壇具も出展されていて、いつもは東大寺ミュージアムで観ていたものが、奈良国立博物館で展示されているのも目に珍しく新鮮で、ドキドキしたり。いつか必ず観たかった近江大津宮にゆかりの崇福寺の鎮壇具、その楚々たる美しさに感動の嵐。粟原寺の三重塔の伏鉢は、私が二十歳のころに巫女として勤めていた多武峰談山神社の宝物で、額田王にももしかして関わりあるかもしれない金石文が歴史を的皪と物語る。空海と最澄が弟子を捕りあったかのような一連のいざこざを言い交わす人間らしい書状、空海の筆跡の勇壮さと対照的な最澄の筆跡の勤勉さ、血の通った歴史のあかし。京都清凉寺や東京深大寺の釈迦如来、実物の迫力と魅力に呑まれた私、どちらにも小声で歓声をあげてしまうほど見とれてしまいました。中尊寺金堂の華鬘、厳島神社の密教具、竹生島の法華経、吉野金峯山の経筒、などなど、書き切れない、まさに空前絶後の祈りのかがやき、でした。

石上神宮の七支刀、なまで観ちゃった。これはもう、この世の名残、世の名残。
人生で一位二位を争うほど最高の展示内容。ですが、ひとつだけ残念だったのは、展示の最後に置かれた中宮寺の弥勒菩薩。白い、明るすぎる背景は、黒い仏像を油で塗ったようにテカらせていて。なんてこと、もともと美貌の皇妃とも呼べる慎ましい黒真珠のような仏像、これはあんまりだ、と正直思いました。
百済観音と同じように陰影を利かせた上品なライティングで包んであげてほしかった、日本でいちばん美しく愛らしい仏像を。

ミュージアムショップの品揃えも空前絶後。あっさりと、ポストカードだけにしました。薬師寺の吉祥天女画像は、前期の2週間しか展示されていなかったので、拝観できなかったのですが。
正倉院展よりも行列が凄かったような、超国宝展。ですが、これは心の底から、来て見て知って良かった、そう思える展覧会でした。


午後からは一路、奈良県を南下、橿原考古学研究所附属博物館へ。春季特別展「王陵 桜井茶臼山古墳」を観覧することに。
時間短縮のため、大和西大寺駅から橿原神宮前駅まで特急に乗ったのですが、とても楽しい、旅行気分で。私はSさんとちがって奈良は地元なのですが、それでも特急列車はちょっとだけ非日常のプレミア感を与えてくれるので。

特別展の展示も常設展示も、ほぼ写真撮影可能。どれも目視で見入ってしまって、写真はあまり撮れず。常設展示の、本物と複製品を交えた藤ノ木古墳の遺物群、その群を抜いた見事さ、そこでようやくスマホを起動させることに。

現代日本の名工たちが丹精込めて為された複製品の刀剣。やっぱり、元の姿を見せてくれたほうがいい、夢とロマンが沸き上がってくる。

この馬の鞍金具は、複製品。前輪部。持ち手のガラス玉の技術は、現代でも復元がかなり難しいとのこと。

鞍金具の複製品、これは後輪部。本物は、いま、大阪市立美術館に出展されています。

おお! 金銅製冠の複製品、金メッキ元通りの。やはり、こうでなくちゃ。

なんという斬新な造形美。渡来品なのか、原産品なのか。

こんなの、王しか被れない。藤ノ木古墳は、法隆寺では王墓とされています。私も藤ノ木古墳は、崇峻天皇の王陵だと思っています。

これは、本物の出土品。国宝、です。しれっと国宝が展示されているのが、心憎い。

これも、同じく国宝。同じ金銅製でも、馬具はあまり酸化しなかったということ?

靴は酸化して緑青になっている。しかし、保存修理でここまで整えられた。

あまりにも身近な博物館なので、年に1回行くか行かないか。でも、来るとやっぱり楽しい、お宝の山だから。

特別展の展示でいちばん気に入ったのが、メスリ山古墳出土の玉杖。
私は生まれも育ちも住まいも奈良県なので、国宝級の遺物遺跡に慣れきって感覚が鈍っている。その点、東京から来られたSさんは遺物のひとつひとつを丁寧に観覧していられた、その真摯な姿に感銘を享けました。
Sさん、ありがとう。お誘いいただかなければ、こんなに楽しい思いをすることもなかった。見慣れた奈良国立博物館も橿原考古学研究所附属博物館も、志を同じくする学友とご一緒すると、まるで初めて訪れた場所のように瑞々しく感じられたから。
ちょっとした旅だった、国宝を巡って、奈良から飛鳥へ、現代から古代まで。
旅にはたったひとつしかない。自分自身のなかへ行くこと。
ライナー・マリア・リルケ