飛鳥へ

アムダリアとシルダリアのはざまへ ―組曲飛鳥―

2020年12月、中村哲先生を偲んで思ったこと。
先生の魂は、アラル海へ注がれるふたつの河川アムダリアとシルダリアのはざま、命を懸けられた地に留まるに納まらない。

私の容貌は弥生人のベースに大きな目と二重瞼を移植した、10%だけ縄文人のハイブリットです。
そんなこてこての日本人の私が、アーリア人の原郷と見なされるTrans Oxianaの地に惹かれるのは。

それは、奈良にはペルシアが生きているから。
奈良では栄光の古代ペルシア帝国の火が受け継がれ、いまもなお、燃え続けているから。

持統天皇はごく若いころ、飛鳥の都に落ち延びたサーサーン朝の皇女と誼を結んだ、そう私は思っています。
二人の皇女の年齢は同年代です。
この勇気に満ち満ちた皇女ふたりは、お互いを高め合ったに違いない。

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燃火物取而嚢而福路庭入澄不言八面智男雲

燃ゆる火も取りて包みて袋には入ると言はずや面智男雲

燃える火をも取って包んで袋に入れるというではないか、面智男雲は。

持統天皇『万葉集』2-160

上記、『旅の空』様よりお借りしました。
面智男雲とはマンスラダフマと読み、ゾロアスター教の主神、アフラマズダの婉曲表現かと。
そして上記の歌は、天武天皇崩御の際、持統天皇が詠んだ、挽歌。

アフラマズダよ、あなたは、火矢のように空へ飛び立っていく魂さえ、袋に封じて地に留められるはずなのに。それなのに。

なぜ逝かせてしまった、私の男を。

これは、想像を絶して底知れない歌です。
所説定まってはいませんが、それでも面智男雲がアフラマズダなら、どれほど持統天皇はペルシア文化に通じていたのか、計り知れません。

持統天皇はサーサーン朝の皇女から、いかに儚く国は滅ぶことを、いかに無力でも国を守ることの意義を、直に教わったのではないでしょうか。

沙漠の向こうの高原、千年帝国でさえ、藻屑と消え去る。
その二の舞、我が国は決して踏んではならない。

夢を見ている暇など、ない。
夢など、はなから用意されていない。

それが、持統天皇に定められた星。

もしかしたら、持統天皇がいなければ、藤原不比等は政権を名実ともに我が物にしていたのでは、と思い至ってしまい。

なぜこんな怪物みたいな傑物が、自分と同じ時代に存在するのか。

それが不比等の本音のような気がするのです。

そして、それと同じ思いを、持統天皇は父である天智天皇とその懐刀である藤原鎌足へ擁いていたと、私なんかは思うのです。

マゼランの未知なる大陸への挑戦
参考音源です以下作曲者による楽曲解説 大航海時代、世界一周の偉業を成し遂げたマゼラン一行ですが、マゼラン本人は航海中に死んでしまいます。歴史に「if」はありませんが「もしマゼランの魂が現世に残り、世界一周を続けたなら・・・」と未知なるマゼラ...

吹奏楽曲の『マゼランの未知なる大陸への挑戦』。
これは天智天皇と藤原鎌足が、近江大津宮を肩で風を切って闊歩している様相にふさわしい。

【吹奏楽】海の男達の歌
海の男達の歌 大阪市音楽団の演奏です

『海の男達の歌』は、潮の匂いに溢れかえらんばかり、壬申の乱以前、大海人皇子のBGM。

マードックからの最後の手紙
定演音源

『マードックからの最後の手紙』は、沈みゆく船からすべてを見守る、壬申の乱以後、天武天皇のBGM。

斐伊川に流るるクシナダ姫の涙
樽屋雅徳

『斐伊川に流るるクシナダ姫の涙』は、建皇子や有間皇子や大津皇子や草壁皇子、飛鳥時代のすべての夭折者を悼む、透きとおるような優しさ、無常さ。

【吹奏楽】吹奏楽のための民話
【吹奏楽】吹奏楽のための民話/J.A.コウディル

『吹奏楽のための民話』は、勇ましく、哀しく、緩急ちりばめられ、まさに国を船として舵を切る、総軍司令官たる持統天皇の一生。

【吹奏楽】蒼氓愛歌 〜三つの異なる表現で
作曲:清水 大輔

瓊花主催の吹奏楽演奏会『組曲飛鳥』、大取は藤原不比等で。

『蒼氓愛歌~三つの異なる表現で~』、壮大の一言。
作曲者清水大輔氏の秀逸な曲目解説、ほんとうにすばらしいので、全掲載させていただきます。

この作品は2011年福井県を中心に活動するソノーレ・ウィンドアンサンブルの委嘱により書き始め、2012年6月に同団体の第20回記念定期演奏会にて初演された11分程の作品。2014年、21世紀の吹奏楽「響宴XVII」に選出されました。

蒼氓(そうぼう)とは民(たみ)、人民、蒼生(そうせい)などの意味を持ちます。今作は更にその言葉に『愛歌』を付け加え造語的なタイトルになりました。(人民に愛される歌という意味。)曲は3つに分かれており小組曲的な構成になっていますが、切れ目無く演奏されます。副題の通り全く異なる3つの表現法で曲を書こうと思いました。

1楽章『序』はファンファーレ的なイメージ、またこの作品を支配する様々なモチーフが登場する楽章、低音の旋律の後にエコーのようにトランペットのモチーフが響き渡りその後劇的な序奏となりますが、不穏な余韻を残し幕を閉じます。終わりには3楽章で登場する旋律がピッコロによって断片的に演奏されます。

2楽章は打楽器を多用したリズミックな楽章。8分の10拍子を基本とした構成になっています。日本的に聴こえる旋律も登場しますが、この楽章の基本はロック、ポップを意識しています。

3楽章はアフリカンテイストとアジアンテイストが融合した壮大な楽章、曲の後半までひたすら流れ続ける16分のリズム、その中で壮大に歌われる愛歌(讃歌)、表題的な内容ではないのですがこの楽章で登場する旋律に何かを感じて頂けたら、私の強く思う『何か』と繋がるのではないとかと思っています。

蒼氓(人々に)愛歌(愛される歌)になる事を願って…。

この壮大な三幕。
息を殺した埋もれ木の少年期。
持統天皇という天才の一挙手一投足を糧とした青年期。
そして、日本の国家をまとめあげた壮年期。

誰がこの懸命に生きた国を憎めよう。

それが不比等の真意では。

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日本古代史、とくに国家の黎明期、飛鳥時代は人間の一生でいうところの、青臭さと迸る生命力、中高生かと。
吹奏楽に縁のない私ですが思うのです、飛鳥時代の立役者たちは草が燃え立つような吹奏楽の、一途な調べがとてもよく似合うと。

コロナ禍の巣ごもり、私は古代飛鳥とペルシアへ意識を飛ばし、魂はアムダリアとシルダリアのはざまへ、持統天皇とサーサーン朝の皇女が誓ったように、いつか訪れるはずの失われた国へ、幻の光を求めて。