かたたがえ

2025.9.13 近江八幡 いまむかし

2025年9月13日、息子のたっての希望で、琵琶湖の東、近江八幡へ。天候はこの通り、しかし、曇天の陰で残暑が緩んで好都合。

近江八幡といえば、日牟禮八幡宮。近江八幡市の名前のもとになりました。和珥氏ゆかりの、おそらくはそれ以前の神代から地元の人びとには崇敬されてきた神籬(ひもろぎ)であることは確かでしょう。

湖東まで、インバウンドの波は押し寄せていました。まだ当地はましなほうで、長浜の街はもう、迂回をせざるを得ないほどでした。

これは、今から11年前の2014年7月11日の日牟禮八幡宮。40歳の私と、3歳9か月の息子。

息子はこんなに小さかったのに。八幡さまは、ほぼ変わらず。

11年前のこの日は金曜日で、主人も私も有給を取って、琵琶湖一周の旅に出ていました。

当時私は正社員、仕事と子育て、よく両立させて頑張れたと思います。

「おらは当然ながら成長したけど、ママはぜんぜん変わらないね」と息子。

息子、私と八幡さまと一緒にしてはいけない。

おなかがかゆいの。おへそになにかいるかも。

でてけー。でてけー。

でていったよ! なにか!

11年前は、この見事な楼門を写すことを忘れていた。

木造入母屋造り。当社の建造物、何度か建て替えられているのですが、そもそもは源頼朝が近江の守護大名の佐々木氏に命じて造営させたと。

立派な拝殿。その奥の本殿が解放されているのも、なかなかすがすがしい配置です。

八幡さま、うちの息子、こんなに大きくなりましたよ。もう中学三年生、身長は178cmです。

八幡堀、近江八幡の、水のプロムナード。

この水路、時代劇の撮影に頻回に使用されています。

いーなー。舟で巡る水郷。

11年前、息子、危険危険! この直後、主人に捕獲されました。

私が写真を撮ろうとすると、とろけそうな笑顔で応えてくれる息子。可愛かったな~

私を見て、「ママ」と呼びかけてくれているのです、息子。

息子、私の背後に向けて指をさしてはいるのですが、結局のところ、そこには何も見当たらなかったのです。息子は3歳くらいまで、こういった示唆をよく起こしました。まだ向こう側から来てまもない子たち、こういった向こう側からの景色、見えても、感じても、何もおかしくないのです。

おなかが空いていたので、もう何も考えずに八幡さまの最寄り「京の加悦寿司 近江八幡店」へ飛び込みました。私は焼鯖寿司のお茶漬けセットを注文。最近は腹六分目で満腹になるので、私のおなかにはちょうどの量でした。

野郎どもは焼鯖と〆鯖と丹波巻の三種寿司セットを注文。セットメニュはどれも近江名産の赤蒟蒻がついてきます。こちらのセット、ボリュームあり。

おいしかったなあ。八幡堀に面している立地も最高だし、接客も完璧。飛び込みでも大正解だった。

で、近江八幡といえば、クラブハリエ日牟禮ヴィレッジ店。こちら限定の、注文してからカスタードクリームを絞り入れて提供される大きなエクレア、これを貪り食べて、私は満腹になった次第。

カフェがなくなってしまっていたのは残念。ラ・コリーナができてから、集客はそちらに委ねたのでしょうか。

11年前は、こちらで焼き立てバウムクーヘンが提供されていたのですが。それもラ・コリーナへ移ってしまいました。

息子が私の後を尾行していたとは。主人め、撮影はいいから、しっかり息子の手を握ってくれ、です。

昔も今も、こうして、たくさんの家族の肖像を描いてきたのが、ここ、近江八幡の境内なのだと。

11年後、受験生の息子に買ってあげたのは、必勝御守。

ほら、裏に、必勝の文字が織り込まれている。闘う神、八幡さまのお下がりです。