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もし、私に勇気があるならば――

Ophelia, Jules Joseph LefebvreⒸWikipedia

私は17歳で初めてマルグリット・ユルスナールの小品『姉アンナ…』を読んだときから、自分自身を厳しく律することにより、精神の安定を図る術に従った。

冷徹を乗り超えた向こうには、しなやかな知力と、寵愛めくほど手懐けられた自由が、透けて見えていたから。

しかし、生きているからには真実の自由などないということも、ユルスナール、私の時を超えた師は、すでにその著作で如実に明かしてくれていたのだが。

「弟よ、なぜ私を殺さなかったのです?」
「それも考えました」彼は言った。「死んだあなたなら私も愛したでしょう」

マルグリット・ユルスナール『姉アンナ…』

私たちの間には、愛よりももっとよいもの、共犯性がある。

怖れることはなにもない。私はどん底に触れた。あなたの心より低くは落ちようがない。

どこに行けば救われる? あなたは世界を満たしている。あなたから逃れるには、あなたのうちに逃げこむしかない。

眼を閉じて愛するのは盲として愛することだ。目を開いて愛するのは、おそらく狂人として愛することだ。狂おしいまでに受け容れることだ。私は狂女としてあなたを愛する。

あなたに逢うと、すべてが澄みきってくる。私は苦しむことを受け容れる。

六日があり、六ヵ月があり、六ヵ年があった。六世紀があるだろう…… ああ、時をとどめるために死ぬ……

恋は罰である。私たちはひとりきりでいることができなかったがゆえに罰せられる。

何もこわくない? 私はあなたがこわい。

私の生について、どうか人々が誰をも咎めることのないように。

マルグリット・ユルスナール『火 ―散文詩風短篇集―』

――おまえは死んだと思っていたよ。
――先生が生きておられますのに、どうしてわたしが死ねましょう。

マルグリット・ユルスナール『老絵師の行方』

Ophelia, Jules Joseph LefebvreⒸWikipedia

もし我々に本来の自分であろうとする勇気があるならば、すべてが変化するだろう。

マルグリット・ユルスナール 『アレクシス、または無益な戦いについて』

もし、私というものが、まだ生きている、死んでいないのであるならば――

もし、ほんとうの私というものが、存在するのであるならば――

もし、私に勇気があるならば――