
2025年8月29日から31日まで、奈良大学通信教育部のスクーリングに参加しました。
君子豹変す。この夏のスクーリングは不参加の予定でしたが、なんとなく、もう、今年度中にスクーリング授業を全うしたくなったので。
そして美術史特殊講義は、私にとって最後のスクーリング授業科目。
万感胸に迫るものがありました。
私は奈良で生まれた女だけれど、これで奈良大学での青春も終わりかな、と。

奈良大学、今後は、残った単位の試験を受ける会場として訪問となる。

いつも通り、朝の8時過ぎにはキャンパスに到着。
もう、スクーリング自体に情熱もなく、漂泊の心地と足取りで教室へ向かいました。
さりとて授業はたいへん面白かった。良い評判しか聞いたことのない授業で、だからこそ、最後の最後まで取り置きしていたので。
スクーリング初日には茶話会が設けられていましたが、もう茶話会にも興味がなく、疲れるだけなので不参加。新しい学友と情報を交わそうという気力が絶えたのも、今現在の交友関係で満足しているからで。
そもそも、友人を作りに奈良大学へ入学したわけではない。


スクーリング2日目の午前は、校外学習。近鉄奈良線の学園前駅から歩いて7分の美術館、大和文華館に現地集合。私は少し体調が悪かったので、車で送ってもらいました。
奈良市の学園前エリアは私の生活圏で、この美術館ももちろん、お気に入り。
スクーリングの講義内容は無論、禁止されているので開示しませんが、大和文華館が展示品のおおよそを写真撮影可とし、尚且つSNSでの拡散も許可しているので、ほんの気持ち、宣伝を。

スクーリング講義に直結するような作品については述べません。これは、この美術館で最も私が「欲しい!」と熱愛する作品、桃山時代の婦人像。2年前に、記事にしました。

スクーリングの最終日、講師の原口志津子先生に思い切って訊ねてみました。
「この婦人は、淀殿なのでしょうか?」
原口先生は毅然とされた表情を少し和らげ、「その可能性はあります。由緒書きを切り取られた形跡があり、手にした数珠も消されたと見受けられる。この絵の持つ気品とある種の緊張感は、淀殿の遺影にふさわしいと。でも、それを証明することができない」と、仰られました。
この絵を、この絵に描かれた人物を、名無しの身の上に落としてでも、残そうという意志。
この絵、灼熱の残暑にふさわしい、強く儚い夢のような女が、この世に生きたあかしであることだけは、まがうことない。

昔、男がいた。女で、〔男が〕妻にできそうになかった女を、長年求婚しつづけてきたが、やっとのことで盗み出して、たいそう暗いところに来た。芥川という川を連れて行くと、〔女は〕草の上に置いてある露を(見て)、「これは何かしら。」と男に尋ねた。
行く先は遠く、夜も更けてしまったので、鬼がいるところとも知らないで、雷までもがたいそうひどく鳴り、雨もたいへん降ってきたので、荒れた隙間だらけの倉に、女を奥に押し入れて、男は、弓・胡簶を背負って戸口に立ち、「早く夜も明けてほしい。」と思いながらじっと待っていたところ、鬼が早くも〔女を〕一口で食ってしまった。「あれえ。」と言ったけれど、雷が鳴る騒ぎで、聞くことができなかった。だんだん夜も明けていくので、〔男が倉の中を〕見ると連れてきた女もいない。じだんだを踏んで泣くがどうしようもない。
白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを
〔あそこに光るものは〕真珠ですかと何ですかと女が尋ねたとき、露と答えて〔はかない露のように2人で〕消えてしまえばよかったのに。
この話は、二条の后(=藤原高子)が、いとこの女御のところに、お仕えするようにしていらっしゃったのを、容貌がたいそう美しくいらっしゃったので、〔男が女を〕背負って踏み出したのを、御兄の堀川の大臣(=藤原基経)、長男の国経の大納言(=藤原国経)が、まだ低い身分で内裏へ参上しなさるときに、たいそう泣く人がいるのを聞きつけて、引きとめて取り返しなさったのだった。それを、このように鬼と言うのであった。まだたいそう若くて、后が普通の身分でいらっしゃったときのことだという。
芥川『伊勢物語』啓倫館オンライン

この琳派の色紙絵「芥川」、大和文華館所蔵作品のなかでも大好きな逸品。スーベニールショップで、マグネットを買いました。
露と答えて、消えなましものを。
露のように、ふたりで死んでしまえばよかった。
在原業平と藤原高子。32歳と15歳で出会ったと。そして、35歳と18歳で駆け落ちして、追手に捕まって連れ戻されたと。
そうか。マルグリット・デュラスの自伝的小説『愛人 ラマン L’ Amant』の、フランス人の少女と華僑の男と同じ、17歳の年の差だったんだ。
私が好むもの、美しいと思うものは、古今東西、終始一貫されているのだな、と。