ならだより

2025.6.7 キーワードを探してください

2025年6月7日、大和は吉野、丹生川上の地に坐す、治水と祈雨止雨の神籬、丹生川上神社三社めぐりを完遂することに。

2022年5月4日に東吉野村の丹生川上神社中社にて、三社めぐりの吉野手漉き和紙の御朱印をいただいたまま、残り二社の御朱印をいただきそびれていたので。

人生やり残したリスト、消化しなければならない、そう生き急ぐような焦燥に駆られ、矢も楯もたまらず。

吉野へ向かう、いつものルート、桜井の裏道。私が二十歳のころに勤めていた多武峰談山神社の門前。

あっと言う間に、30年、過ぎ去ってしまった。

後南朝の息衝く伝統ゆるぎない、川上村へ。丹生川上神社、上社へ。

御神体の、白屋岳を臨んで。

白屋岳のふもとの大滝ダム。昭和34年の伊勢湾台風で甚大な被害を受けた吉野山系の河川治水として設営された大滝ダムの底に、本来の丹生川上神社上社の境内は、村の中心部とともに沈みました。

いがらしゆみこさんの傑作中編『夏まつり』を思い出しました。ダムに沈む村の最後の夏まつり、少年のあこがれの「ねえちゃん先生」、村長の息子として憎まれ役を買って息絶えた従兄、惹かれ合うも死に別れるふたりの年上の男女、沈む村とともに終わった少年の初恋、ひと夏の軌跡を描いた、幼いころに読んで以来どうしても忘れられない、秀逸な少女漫画作品でした。

川に沿って生きてきたお社、生き残るためにやむを得ず、高台に遷座されたのです。

ダムに沈む前に、橿原考古学研究所が調査した本殿跡からは、縄文時代から連綿と続く祭祀の遺構が発掘され、現在の境内には平安時代の祭祀場の復元遺構が置かれています。

人の営みは、たかだか数千年単位では何も変わらないのだと。命の源である水を求める、ごくあたりまえのこととして。

それにしても、なんて美しいのだろう、蒼い蒼い、大気に煙ってくすんだような、美しい緑の山並。

この天空に坐す水の神にお参りできるのは、これで最後かもしれない。

なぜかそう観念してしまい、胸が痛くなり。

悲しいわけではなく、もう充分、そう感じ入って。

「ママ、なんで最後って思うの?」と訝る息子に、私は黙ってほくそ笑み。

さあね、私はこういった勘、はずれたことがないのでね。

息子は10年前に初めてこのお社を訪れた際、おみくじで凶をひいてしまい、それがゆえに拝殿にあげていただき、御祈祷を授けていただいたのです。今回も息子、意を決して恐る恐るおみくじをひいてみたところ、大吉。忌明けと捉えて良いのでは。

で、私は、ひと目見て気に入ってしまった福守をいただきました。まるで逢瀬を交わすロミオとジュリエットのようなつがいの蛇の意匠がかわいい、白いレースの御守、なかの御札は透明のアクリル板で、清澄なガラス板のよう。

「ママ、まだ欲しいものはあるんだね」と息子、安堵して言う。

1000円の御守を手に入れたい、それ程度の物欲は、ね。

天を摩す山の風に雲もろとも搔き消えそうな欲望、それで私は生き繋いでいるのかもしれない、かろうじて。

さあ、残るキーワードを探しに、下市町の丹生川上神社下社へ。

見切れてしまった向かって左手の看板には、世界最古の会社、金剛組が当社の修復を担ったと。

2019年以来、6年ぶりの訪れとなったとは。

6年前とちがって、今日は好天に恵まれ、神馬として飼育されている白馬と黒馬も、厩舎から出され、のびのびと馬場に放たれていました。

太古、実際に馬を屠っていたのでしょう、神へ供御として。

それは、供御としての馬が、国家鎮護の祈祷の際に屠られたとのことで、治水ほど重要な祭祀はなかったという、あかし。

白馬、柵から離れず何やってるのだろう? よく見ると、結界の綱を歯でしがんでいました。「制服の帽子の、ゴム紐、噛んでるような?」と息子。なるほどね、小学生みたいな。

やったね! 御朱印コンプリート! 奈良市の画材屋さんで、額装してもらおう。

御朱印集めも、スタンプラリーめいたことも、丹生川上神社だけ。なぜかはよくわからない。私の本質が、水の神のように自由奔放で自由闊達だから、か。

そう、誰も私を縛れない。私自身ですら。

見えない宝を、私は拾い集めて、ここまでやってきた。キーワードに満ち溢れた人生だったと。

美しい水の階(きざはし)。私もいつかここを昇るように、今生をまっとうするのだろうか。

人間より、植物に近い生物だったと思う、我ながら。恣(ほしいまま)に、生きたから。

神に願うことなんて、何もないんだよ、私には。

樹齢500年の欅。室町時代から安土桃山時代くらいか、生まれたのは。

古今東西の聖人各位、木蔭で瞑想したのは、などなど、樹木民俗学の書物を紐解きたくなってしまい。

ふと、ここでも思う、ここも今日が最後の訪れとなるだろう、と。

悲しいより、むしろ、笑ってしまう。

ほほ笑ましい、と。

目の前で、白馬、無防備に横たわって。

そもそも、神に喰らわれるために育てられたおまえたち。

川沿いの幟旗の群れ。水の神、女神の信奉者たち。

流れる水のくせしておこがましくも、まだもう少しここに留まっているために――

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