2022年12月11日、早朝、大和郡山市矢田丘陵に構えられた奈良県立大和民俗公園へ行きました。
奈良県内から移築された古民家群がすんばらしいのです、この公園。敷地内には、奈良大学の博物館学芸員資格取得の実習にも使用される民俗博物館があります。
右手、旧臼井家住宅。左手、旧鹿沼家住宅。この通り、低地の町屋集落から始まります。
大和高田市から移築された旧鹿沼家。お米屋さんだったそうで、お店が手前、奥が住居。
高取町から移築された旧臼井家住宅。お酒と醤油の製造元で、杉玉がその証。
町家なのでもともと瓦屋根ですが、臼井家はいま修復工事中で瓦が外されています。
国中(くんなか)集落の旧吉川家。橿原市から移築されました。典型的な農家の造りで、土間に唐臼が備えられています。
旧吉川家の向こう、旧萩原家が見えてきました。奥へ向かうほど山雅が深まり、奈良の古民家の都鄙の変遷の特徴を辿れるのです。
桜井市から移築された旧萩原家。入母屋造の茅葺の屋根が見事で、牛馬飼育小屋の馬屋もあり、まさに豪農。
丘を登って、宇陀・東山集落へ。室生村から移築された旧松井家。だんだん屋根が大きくなるのは奈良県東北部の大和高原、平地より寒くて雪が積もるから。
右手の奥、都祁村から移築された旧八重川家はいま修復工事中。
左手前、室生村から移築された旧岩本家。大きな屋根には二階を設け、養蚕をしたそう。
とっても美しい農家です。
胸に染み入る光景。
目前の、旧前坊家は吉野集落です。ここからはもう吉野山。
十津川村から移築された旧木村家。杉の皮に石を置いた屋根は、雨風に耐え忍ぶ造り。
自然の猛威に備えた強健な家、朴訥ながら泰然とした風格があります。
右手の母屋に面した、左手の納屋は牛小屋。
牛をとても大切にしていたのですね。立派な小屋を、母屋のこんな間近に。
左から旧木村家、旧松井家、旧前坊家。さあ、大取、「吉野建て」へ。
吉野山金峯山寺蔵王堂の門前町から移築した旧前坊家。吉野水分神社の神職の住居だったのです。
渡り廊下でつながり、山の斜面に沿って建てられています。これが、吉野建て。
ここは吉野山の参詣客の宿でもありました。たいへんユニークで、だからこそ貴重な古民家です。
杉板葺の屋根。もともとは波型鉄板葺でした。
大がかりな宅地造形を行わず、地形に建物を添わせる吉野建て。とても魅力的です。
吉野建て、裏側はこうなっています。
同じ奈良県内でも、これだけ多種多様な建築法を誇るのです。
ふっと、吉野山に飛んだ心地。
文化財保護の実態、それは地味で地道な作業。しかし、コツコツと積み重ねる努力に優るものはない。私はそう思っています。
で、午後から一路、橿原市へ。奈良芸術短期大学日本画公開講座2022絵画を体験する中央アジアの仏教壁画「第3回敦煌莫高窟」の聴講のため。
道中、右手から久米御縣神社、久米寺、畝傍山、祈雨の磐座の臥龍石。
正垣雅子先生の講義もこれで最終回。
敦煌莫高窟についての講義は、まんまシルクロード学のグレートゲームに通じました。
自分が本と首っ引きで取っ組み合った科目をこういった形で耳にするのもほんとうに僥倖だと、感に堪えなくなりました。
映画『敦煌』も話題にのぼり、「西田敏行がかっこいい」と正垣先生も仰っていました。
あの映画は、やはり、敦煌をビジュアルとして知るに最適なのだと再認識させられました。
正垣先生の講義、再来年に再開予定とのこと。
息子が言っていました、「小学校、あっと言う間やった」と。「それは楽しかったからやね」と私。
奈良芸術短期大学日本画公開講座も、あっと言う間でした。