かたたがえ

2021.4.11 さざなみの都の鎮める寺

2021年4月11日、どうしても琵琶湖が見たくなり。
晴れ晴れとした青空で道も混んでいるかと思いきや、スルッと三井寺まで着いてしまいました。

みんなえらいなあ、自粛してるんだ、と思ったのですが、なんのことはない、大阪や京都は人で犇めいていたそうです。

普通お参りしてからお斎ですが、11時30分に着いたので、先に食べてしまうことにしました。
三井寺門前のレストラン風月さん。窓の外、なんてすばらしい新緑。

三井寺弁慶釣鐘饅頭が、お通しでサービスされました。人形焼や紅葉饅頭の系統。焼きたてで、おいしい。弁慶が三井寺から奪った釣鐘を模したお菓子です。比叡山延暦寺の僧兵だった弁慶、ライバルの三井寺を襲撃し放題。

主人と息子は天ざるセットを。
花が咲いた天ぷらの海老を見て、あれ、ここのお料理、かなり良いのでは? と意識向上。

点心の三井の晩鐘。
釣鐘型の三段重ねのお重です。
観光、sightseeing丸出しで、素敵!

お刺身と吹き寄せと炊き合わせ、ちょっとびっくりするほどおいしかったです。ボリューム満点、味がしっかりしていて、それでいて上品な風味で。滋賀特産の赤蒟蒻がなければ、京都の割烹料亭のお料理みたいです。
観光地レストランと侮るなかれ、味もスタッフの皆さんも最高級でした。

琵琶湖に向かって東向きの仁王門。
うつくしいアプローチ。
私、京都に来たのかな?

うわ、手が行き届いている前栽。
ここは京都の文化圏なんですね。

男どもも浮かれてきています。
「ママ、このお寺、綺麗だね」
うん、入る前から、それ、わかるよ。

仁王門から正面に望む金堂。
ひーえー、きれーい!

その前に、向かって左の釈迦堂へ。
檜皮葺の入母屋造り。シュッと洗練されています。

清凉寺式の釈迦如来像。
簡素で愛らしい、建物にぴったり。

金堂までの階段。
いやー、駆け上がりたくなるわ、この楓のお出迎え。

青紅葉(あおもみじ)とお呼びするそうです。
はー、すばらしい緑。

私のいちばん好きな色です。やわらかい、生まれたての緑色。

これは秋の紅葉のあでやかさが容易に脳裏に描けます。
すばらしいです、影までも。

金堂の脇には近江八景の三井の晩鐘。
哀しい龍のお母さんの伝説。
漁師との間に子をなしたけれど琵琶湖に連れ戻された龍女。残した子に自分の目玉をしゃぶらせて、とうとう盲目となった龍女のために、漁師は三井寺の鐘を撞き、子の息災を知らせたと。

水の女が住まう琵琶湖は異類婚姻譚の伝承が多い。
あと、母と子に関する伝承も。
お能の『三井寺』は生き別れになった親子が再会を果たすハッピーエンドですが、それは稀、ごく稀だったのでしょう。

弱者が略奪され搾取される人身売買や、神隠しを騙った誘拐など、いったいいつになったら撲滅できるのでしょうか。貨幣と人間が置換できる限り、畳まれることのない市場なのでしょうか。

右手が三井の晩鐘、左手が金堂。
金堂、豊臣家の北政所の普請、国宝です。
見慣れたはずの奈良県民の私でも、こんな見事な檜皮葺は物珍しく、見入ってしまいます。

金堂のなかは仏像の一大展覧会。
お土産コーナーで流されていたBGMが耳に残って、それが最も濃い印象。
小馬崎達也とパンゲア。CD、買えばよかったな。

あと、上羽絵惣の胡粉ネイルもあって、ここはやっぱり京都の一円だな、と。
だって、「三井桜」ですもん、ピンク色のネイルカラーの名前。

金堂の向かって左、閼伽井屋。
これがそもそもこの寺の始まり。

園城寺は、大友皇子の息子の与多王が、その園も城もすべて捧げて父の冥福を祈りたいと興した寺です。

園城寺の呼称、三井寺は、天智・天武・持統の三天皇の産湯に使われた井戸がそこにあったことが、名の由来。
うーん、苦しいですね。
天智はともかく、天武と持統は後付けでしょう。
正しくは、天智・大友・与多王の近江王朝三代の寺という意味でしょう。

ぶくぶくと、水の湧く音が。

 産湯と云つて来たが、古代は水をもつて湯とも称してゐる。誕生の際、正確に湯にとりあげたのは何時の頃よりか知られてゐない。一体、湯は斎川水ユカハミヅと云ふ語の慣用が、こんな略形に変じ来つたのであるが、古いものを繙けば、天子の沐浴を、ゆかはあみ(湯川浴)と訓じてゐるのが目にとまる。つまり斎川ユカハの水をゆみづと云ひ、更に略して「ゆ」といふ形を生んだので、今いふやうな、温湯を湯と称するやうになつたのは、遥か後代の事である。だから産湯には、冷水を用ゐた時代のあつた事を含めて考へなければ当らない事になる。
 さて、ゆ即、ゆかはみづは、何の為に用ゐるのかといふに、此は申すまでもなく、みそぎの為である。今日までの神道では、禊祓は凶事祓へを本とするやうに説いてゐるが、此は反対で、吉事祓へが原形である。来るべき吉事をまちのぞむ為の潔斎であるのが、禊祓の本義であつた。
 禊祓の話は、此処にはあづかる事として、貴人誕生の産湯は、誰も考へるやうに禊ぎに過ぎないが併し、その水は単なる禊ぎの為の水ではなく、或時期を限り、ある土地から、此土により来るものと看做された。即、其水の来る本の国は、常世国であり、時は初春、及び臨時の慶事の直前であつた。海岸・川・井、しかも特定された井に湧くのである。其水を用ゐて沐浴すると、人はすべて始めに戻るのである。此を古語で変若ヲツと云ふ。其水を又変若水ヲチミヅと称する。貴人誕生に壬生の汲んでとりあげる水は、即、常世の変若水ヲチミヅであつたのだ。中世以後、由来不明ながら、年中行事に若水の式が知られてゐる。此は古代には、特定の井に常世の水が湧き、其を汲んで飲み、禊ぐと若返るものと考へてゐた為の名である。

折口信夫『貴種誕生と産湯の信仰と』

御生れ(みあれ)の聖なる水がいずる、だからこそ、天智はこの地を都に選んだのでは。

私も奈良盆地の生まれで、その産土の善し悪しを知りたくなくても知らされる身です。
私と同じ産土である天智すなわち中大兄の気持ちも、わかる気がするのです。

淡海の地に入った途端、その湖の光さざめく煌々しさに、水面を走る風から受ける解放感に、大和ではついぞ味わえない自由に、生涯おろせぬ鎧も軽く感じられたのでは。

大和の葛城の古い古い血に縛られた皇子の葛藤、それをかなぐり捨てんがために選ばざるを得なかった孤独、毛穴から染みわたっていくようで。

左甚五郎が彫ったとされる龍。暴れだすので目をつぶされました。
まあ、そういうことなのです。
この井戸には龍王が蟠っているのです、封じ込められているのです。

封じたのは誰かって?
与多王の願いを聞き容れて、園城寺の建立を勅願とした、天武天皇そのひとです。
それと、もちろん、持統天皇です。

与多王といい、葛野王といい、天武と持統は大友皇子の遺児に、意外や関わりが深い。
十市皇女の息子の葛野王はともかく、与多王は伝承上の人物ですが。

私が天下分け目の内乱の勝者なら、敵の遺児なんて後々の禍根、生かしはしませんが。

壬申の乱って、なんだったんでしょうね。

黐躑躅、モチツツジって、こんな難しい漢字なのです。
山野で見かけると、その透明感に、はっと息を吞まされます。

これが弁慶が三井寺から奪って撞くと「イノーイノー(帰ろう帰ろう)」としか鳴らなかったので、腹を立てた弁慶に崖から落とされた鐘。
もう、弁慶、こんな話ばっかりや。

ぼんぼりみたいな桜。
ほんっとうに、かわいい!

桜は京文化だなあ、やっぱり。
桜餅が食べたくなる遅咲きの桜。

枝垂桜の大木。
これだけでこんなに見事。
桜が満開だったころ、筆舌に尽くしがたかったのでは。

ううつくしいい。
桜の精が宿っているような。

怖いわ、あまりにもきれいで。

枝垂桜越しに、金堂。絶対秘仏の弥勒仏が鎮座坐す。
絶対秘仏、天智の持仏といわれています。
なお、弥勒は来世の未来を目指す仏。
たった5年で失われた湖の都、若くして亡くなった皇子が眠る、もはや来世の未来しかない。

おそらく、皇子の父の天皇も、安寧とした幕引きではなかったかと。

大和の葛城を壬生部として生まれ育った天智天皇、葛城中大兄皇子、あなたの魂はここに留まったのか、このさざなみの都に、鎮まったのか。

鎮まったのか?

この石組み。釘付け。
私、好きやわ、このお寺。めちゃくちゃ好きやわ。

石楠花。
これでもかの花の御成り。

私の好きな花ばかり、植わってくださって。

小さいころ、毎年の夏休みには今は無き「びわこ温泉紅葉パラダイス」という宿泊娯楽施設に遊びに行っていました。
大津京跡近く、琵琶湖の畔です。

私には、懐かしい夏の想い出、麗しい湖国の想い出なのです。

三井寺もすっかり忘れていましたが、この青紅葉のアーチを通っているうち、思い出しました。
私、ここ来たわ、大好きだったわ、と。

降るような椿。
ほんとうに大切にされている、木が緑が花が草が苔が。

観音堂を目指して。
ほら、琵琶湖が見える。

ここに限らず古代に建立された寺院はどれも、立地が最高です。
さて、もう一踏ん張り、展望台へ。

ひー! すばらしー!
ぜんぜん密ではなかったです、三井寺。
参拝客の方々もみなさん静かで、安心してお参りできました。

左手、比叡山の山並みでしょうか。
これだけ近かったら、そら弁慶enjoyして襲ってくるわ。

対岸、湖東の阿星山や三上山かな。
伊吹山や長命寺山? そこまで見えないか。

子どもだったとはいえどうしてこんな素敵なお寺を忘れていたのか。
湖の畔のホテルのプールで遊んでいるときが、こよなく楽しい時間だったからか。
夏の湖の想い出、光さざめく水の記憶。

大津に来たなら、三井寺力餅を食べないと。
レストラン風月の店舗ではその場で作ってくださるのです。

餅に蜜を塗って、青大豆のきな粉をたっぷりかける。
その場で食べるのがベストです。

この包み紙は、本のカバーに最適なのです。
和菓子屋さんの包み紙は基本、柔らかいのに丈夫です。

大津絵の弁慶。
大津絵、かわいくて好きです。
絵柄ひとつひとつにちゃんと意味があるので、絵解きが楽しい。

この青大豆きな粉の量!
砂糖は入っていないので、純粋な大豆の粉です。
私は今回、この貴重なきな粉をパイシートのフィリングにして、焼いて食べました。

蜜だけが甘いので、とてもあっさりといただけます。
滋賀の銘菓は、甘さ控えめです。
これも京文化の影響なのでしょうね。

もう少し時間をかけて訪れよう。
大友皇子のお墓の脇を車で通り過ぎたとき、そう決めました。

真実は敗れた者のみぞ知る。
その寺が美しければ美しいほど、そこに鎮まる魂の瑕が深まる、えぐるように。

父と息子の魂を鎮めたのは、誰なのか?

この湖の都に火を放ったのは、いったい、誰なのか?

ただ、父は、息子を愛した。
父は息子にこの湖の都を与えた。
それだけは、まごうことない。

娘は飛鳥の都に還った。
与えられない都など、欲しくなかった。

だから、滅ぼした、この手で。
だから、鎮めた、この手で。

娘も敢えて孤独を選んだ。父と同じく、覇王の道を。

憐れみ給へ思ひ子の。行末なにとなりぬらん。行末なにとなりぬらん。
枯れたる木にだにも。枯れたる木にだにも。花咲くべくはおのづから。
いまだ若木のみどり子に。再びなどか逢はざらん。再びなどか逢はざらん。
三井寺に着きにけり。三井寺に早く着きにけり。

伝世阿弥作『三井寺』