かたたがえ

2018.8.11 虎穴に入って虎児を得た ―丹波篠山城―

2018年8月11日、兵庫県三木市へ墓参りの帰り、丹波篠山城下町へ。デカンショ祭をひかえての提灯、お堀の向こう、市役所と文化ホールです。デカンショの語源の一説、なんと、デカルト、カント、ショーペンハウアー、3人の哲学者の名前とか。

丹波篠山城。いやもう立派! 徳川家康の天下普請の威信です。しかしあんまり見事な造りゆえ、天守を築くことを許されなかったそうで。
カステロフィリア(城郭愛好)ではないので、数えるほどの城しか知らない私ですが、こんな端正な石垣、見たことないです。

復元された大書院。夕方で拝観時間を過ぎていたのですが、ちょっとだけ中を覗けました。戦国武将の鎧兜がずらり、と。

二の丸御殿跡。ひろーい。部屋の名前がひとつずつきちんと記されていて、お城の生活が想像しやすかったです。

城の出入り口を虎口(こぐち)と言います。篠山城の虎口は、石垣の向こうが見えない、かなり堅固なものです。しかしこの石畳の曲線美、すごいな、もう。
新しく何かを知ると、いかに自分が無知であるかを逆説的に思い知らされます。想像も大事、下調べも大事。でもこうして現場に立つと、毛穴から天下普請を知れるのです。

この丹波の山国の城は、なんとはるかに遠く離れた大坂城を睥睨するためのもの。私が以前勤めていた病院からは、大坂城が眺められました。難波宮跡も、すぐそこでした。

徳川の威信は、これまた逆説的に豊臣の偉力を私に覚えさせました。

ああ、おもしろい。家康ビビッて、秀吉でなくとも胸が透く。

虎穴に入らずんば虎子を得ず。虎児を得た、そんな一日でした。