かたたがえ

2019.4.6 みずからに忠実に ―宇治上神社 宇治の若き王―

2019年4月6日、京都は宇治に遊びました。
宇治までは、我が家からは車で1時間もかかりません。
とても身近な「京都」なのです。

宇治の町並みは、いたるところお茶の香りが漂います。
平等院の門前なんて、緑の芳香、馥郁たるもの。

いや、やはり観光地。人が多い多い。
奈良に近くとも宇治はやはり京都です。

しかし、平等院。
お寺という感じは、正直、しません。

眺めることを軸として、人が立ち入るようには作られていない平等院は、きれいきれいに積まれた雛壇のような、藤原摂関家の「離宮」でしかない。

奈良とは随分ちがう。
距離はそんなに離れていないのに。
私は宇治に来るといつも、京都の文化の繁殖力に圧倒されます。

総じて、美に重きがおかれている。

私は平等院の裏手、源頼政の墓を見つけ、やっと祈る気持ちになれました。
源三位頼政、死を覚悟して甲冑を身に着けずに宇治川の戦いに挑んだ77歳の名将が、私にはとてもなつかしい、慕わしい存在でした。

お花見の縁日が催されていました。
宇治川はとても豊かな河川です。勢い流れる力強さ。
『源氏物語』の宇治十帖の舞台ゆえ、なんだか「もののあはれ」っぽい印象がついていますが、宇治は古来より戦場にあり、「まつりごと」の拠点でもありました。

宇治に来ると必ずお参りするのが宇治上神社です。
祭神は、応神天皇とその息子たち、仁徳天皇と菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)です。

応神天皇と仁徳天皇の合祀は、無礼千万は承知で、まあ、お愛想、でしょう。

この宇治の地は、宇治の若き王という名の、菟道稚郎子のものでした。
そして、応神天皇にとって、菟道稚郎子は最愛の息子でありました。

国宝の本殿。
平安時代後期の造営で、神社建築としては最古の現存。
粛々とした心地になります。

菟道稚郎子の自死の方法はよくわからないのですが、宇治川に関わる方法で亡くなった気がします。

追い詰められて亡くなった、というより、みずからすすんでこの世に別れを告げた、そんな気もします。

宇治の王者は武者であるより学者でありました。
もうひとりの異母兄、大山守(おおやまもり)を宇治川に入水せしめて殺した様子に、聡い宇治の王者は自身の未来を映し見たのではないでしょうか。

大山守へ対する菟道稚郎子の挽歌は、異様なほど哀切に満ちています。

知波夜比登 宇遲能和多理邇 和多理是邇 多弖流 阿豆佐由美麻由美 伊岐良牟登 許許呂波母閇杼 伊斗良牟登 許許呂波母閇杼 母登幣波 岐美袁淤母比傳 須惠幣波 伊毛袁淤母比傳 伊良那祁久 曾許爾淤母比傳 加那志祁久 許許爾淤母比傳 伊岐良受曾久流 阿豆佐由美麻由美

千早人 宇治の済に 渡代に 立てる 梓弓真弓 い伐らむと 心は思へど い獲らむと 心は思へど 本方は 君を思ひ出 末方は 妹を思ひ出 楚なけく 其処に思ひ 悲しけく 此処に思ひ い伐らずそ来る 梓弓真弓

宇治の浅瀬に梓の木が立っていたので、これですばらしい弓を作ろうとした。しかし、木の根のほうを伐ろうとすると大切な者を思い出され、木の先のほうを伐ろうとすると愛しい者を思い出され、ほうぼうに悲しみがあふれ、ついぞ伐ることは叶わなかった。

『古事記』中巻 応神紀

恣意千万ですが、大山守と菟道稚郎子は同一人物だと私は思っています。
もしくは、志を同じくした兄弟だと。

海の都、難波(なにわ)を本拠地とする大鷦鷯(おおさざき)すなわち後の仁徳天皇の標的は、あくまでも宇治の若き王、ただひとり。

父は私を愛した。
兄は私を憎んだ。

私の意思など関係なく。

私の人生はままならないものだった。
否、私の命は――

――私だけのものだ。

そう決めて末の弟は死んでいったのではないでしょうか。
異母兄、難波の覇王に殺される前に。

梓弓真弓の挽歌はもしかしたら、難波の覇王が宇治の若き王へ向けて詠み散らしたものなのかもしれません。

兄は誰よりも、弟を惜しんでいたのかもしれません。

『古事記』に刻まれた宇治の若き王の歌は、人の心の悲しさと優しさが万古不易のものだと、とこしえに指針するものです。

緑に薫るような人間性。
そんな歌を詠んだ者と見なされる、宇治の若き王はそういった人となりだったことの、あかしです。

晴天に桜、とても美しかった。
どうかこの桜を手向け花に、宇治の若き王のたましいが少しでも安らぎますように。

私は敗者ばかり追いかけている気がします。
敗れた者にしか、真実は掌握されないから、でしょうか。

菟道稚郎子の同腹の妹は、大和の曽爾で隼別(はやぶさわけ)とともに命がけで青春を駆け抜けた、雌鳥(めとり)です。
なんとすさまじくみずからに忠実な兄と妹なのでしょう。

兄も妹も、そして叛乱に生きて死んだ王子も、私の心の友です。

宇治では必ず永暦元年(西暦1160年)から宇治川のたもとで茶屋を営んでいる「通圓」で茶団子を買います。
ここの茶団子、あまり甘くなくて、抹茶が濃くて、20本買ってもすぐなくなります。

私も息子も抹茶に限らずお茶が大好き。
主人もここの茶団子だけはぱくぱく食べます。
定番中の定番は、「?」と訝るものも多いのですが、ここの茶団子は名に劣らぬおいしさです。

しかし、見てると怖くなるね、宇治川、ものすごい水の量とうねるような急流。

宇治、記紀の古戦場のみならず、軍記『平家物語』の舞台。

宇治の若き王、また訪ねてまいります。
あなたの美しい心根に触れずにいられないので。