ならだより

2020.3.20 龍の眠る丘

2020年3月20日、コロナ禍で遠出は控えて飛鳥へ行きました。明日香村が近傍、というのも、奈良県民ですので。
風は多少きつくとも陽射しが暖かで、絶好の行楽日和。
ですが、万葉文化館の駐車場はガラガラ。桜木蓮や辛夷がほのぼの咲き、こんな麗らかに萌えいずる飛鳥の春なのに。

中韓の観光客がいないだけではなく、国内からの観光客も車のナンバープレートを見る限り、僅少。
自然だけがすくすく健やかで、それはそれで、もったいない気がしました。

万葉文化館は休館でしたが、隣接されたASUCOMEの店舗は営業中。
息子は「La Ville~都~」さんの自家製ローストビーフ丼を注文。主人はドリアを注文。
こちらのお店はローストビーフのみならず、調味料まで自家製。どれもすーごく丁寧に作られていました。
甘酒入りのスープが絶品! 甘酒もお手製なんですと。

私は「tabi tabi」さんで4種スパイスカレーを。本格的ですが敷居の低いカレー屋さんです。
レモネードとジンジャーエールも注文。ここのジンジャーエール、生姜がたっぷり、スパイシーで一押し! 今日はアイスにしましたが、ホットも可能。
体内スパイスで満たし、外へ出ました。
ASUCOME、私たちで貸し切りでした。

飛鳥板葺宮跡。楠は鳥の塒になっていました。
人が近づくと鳴きやむ鳥たち。私が試しに口笛を吹くと、鳥たちがいっせいに囀り始めました。で、私が口笛をやめると、鳥も口を噤む。また私が口笛を吹くと、鳥が囀りだす。
げらげら笑いながらしばらくそれを繰り返していたところ、主人と息子に「ドリトル先生や」とあきれられました。
アッシジの聖フランチェスコとか旧約聖書のソロモン王とか言ってほしい。

遺跡へレッツゴー!
うーん、誰もいない、これまた。古代の宮殿、貸し切り。

飛鳥京跡の、復元された浄御原宮時代の井戸。とってもちいさいころに訪れて以来。
来てあたりまえの場所だったので、もう何も覚えていなくて、新鮮でした。

ごく若いころなら、この有名な遺跡を目にして心臓が余分に脈打つこともあったでしょう。
人生半ば過ぎた今は、こう思うだけ。

ただみんな懸命に生きて、そして死んでいったんだな、風のように。
私もいずれはその風の群れに混じって、消えていくんだな、アキレウスのように何ものをも一顧だにせず。

アキレウスは、アスフォデロの野を
どんどん横切って行ってしまった

須賀敦子「アスフォデロの野をわたって」『ヴェネツィアの宿』

死者を追うのが考古学、歴史なのでしょう。
私の追う死者たちは、その背中しか見せてくれませんが、それでいい。

飛鳥京跡苑池休憩場。またも貸し切り。

遺跡と民家が併存する、飛鳥の村落。

犬養万葉記念館から石舞台へ向かって。ここ、一応、明日香村観光のメインストリート、かな。

犬養万葉記念館、休館でした。植え込みの雪柳が見頃でした。

岡寺へ向かって坂道を選ぶと、参道にこんな趣あるお店。
看板は「あすか燻製工房」と標榜、でも、どう見たって民家。
門をくぐり、ミモザの盛花がかわいい母屋へ入ると、無口なおとなしいお兄さんがお出迎え。その朴訥さに感銘を享けました。

飛鳥にも都会と同じように商売っ気まるだしのお店があるのですが、飛鳥にそういったものを求めていない私には、ここはとても意に適ったお店でした。

主人はスモークチキンを一つ購入。「『ソーセージもいかがですか』とか営業かけてこぉへん、安心するわ、あの子」と。

さて、本格的な参道となってきました。岡寺の塔、見えてきました。

「パパ、暑くない?」
「暑いよ」
全員、登り道に備え、上着を脱ぎました。

岡寺到着。手水舎に、こんな一面のダリアの献花。

ああ、きれい。花って、ええなあ。

許される限り、どこ行っても鐘を撞いています。岡寺の梵鐘、実際に撞くと、なんか空の斜め上から降りてきたような清澄な音がしました。
お、鐘の向こう、薄い靄?

左手に本堂。右手に鐘楼、その奥。桜が咲いています! あの色、上品な白、山桜?

いや、花を追う前に、先ずは本堂の御本尊にお参り。

御本尊を拝んだ後、本堂の前を周遊すると、赤い実のかわいいモチノキを発見。
そこへじゃらじゃら吊り下げられたものものは?

龍玉、願い珠。お願いごとを書いた紙を珠に納めて、モチノキに吊るす。
息子は「持って帰りたい」と。
お守りとしてお持ち帰りも可能です。

「紙になんて書いたの?」と息子に訊きますと、「ちゃんとした大人になりますように」との答えが返ってきました。

うわ、ちゃんとしてるよ、すでに。

さて、花を追って、奥の院へ。
ああやっぱり山桜だ、この緑み帯びた白い花の色。
私にとって桜といえば山桜、です。

龍蓋池。義淵僧正に封印された龍の池。
不思議なひとですね、この義淵も。草壁皇子の影のような。

草壁皇子と義淵が幼いころ、共に育った岡宮に建立された寺、だから岡寺。

言い伝えでは、封印された暴れ龍は、夭折した草壁皇子の魂魄だとも。
言い伝えだとしても、なんて悲しいのか。

引導を渡すために、幼児のころから義淵は草壁皇子に仕えてきたのではない。
しかし、草壁皇子の側に立てば、血のつながった兄弟より近しい存在の義淵そのひとに魂を鎮めてもらいたかった、だから本望だったのではないか、とも思えます。

草壁皇子にも無念はあったのでしょう。
言い伝えは、正史を補うこともあります。

私の十九歳の厄除けは、ここ岡寺でご祈祷していただきました。
ただし、当時の私、罰当たりにもポーッと座っていただけ。
草壁皇子より大津皇子が好きでしたので、「二上山が産土のあたしには、ここ岡宮はawayやで」と屁理屈を捏ね、にくたらしくもわかりやすい、満十七歳の古代史観に囚われていました。

三重塔。麓から見えていた姿のほうが大きい。実物は「え、かわいい」の声が上がるもの。
しかし、その水煙の気高さ、瞠目たるもの。

ここに至って草壁皇子の御母堂、持統天皇を思い出さざるを得なくなり。

持統天皇は草壁皇子を息子というより、「天皇にふさわしい存在」かどうかで観察していた節もあるのでは。
草壁皇子と大津皇子を並べれば、誰がどう見ても大津皇子は先手に打って出るだろう逸材。
なおも、大津皇子の出自で天皇位を狙わないなんて、どうかしている、としか言いようがなかったのです。

否、どうかしていたのは、大津皇子ではなく、草壁皇子だったのでは――

肥後椿。あざやかな赤。

天皇の子に生まれたけれど、天皇にはなりたくない、そんなひとも存在しても、おかしくはない。

草壁皇子が上記に該当すると私には証明できる手立てもありませんが。

しかし即位は可能だったはず。草壁皇子は天皇になれた。

いやこれは世迷言。
血より赤い椿の花に目がくらみました。
義淵が私にそれを言わせたのでしょう。

池の水盤にもダリアの献花。
ゴールデンウィークには花で池の水面を覆いつくすそうです。壮観でしょうね。

十七歳の春、厄を払っていただいた。あれから30年近く経て、やっと草壁皇子に御礼を言えた気がします。
ありがとう、これまで守っていただいて。

このあと、石舞台へ行きました。
人がわんさか、石舞台のまえの風舞台の広場でテントを張って自然を楽しんでいました。
なんだみんなここにいたんだ。
窮屈なコロナ禍の日々、子どもも大人も、四肢を伸ばして歩きたい走りたい、当然です。

板葺宮跡に岡寺に石舞台、ベタすぎて、汗が出るような飛鳥の散策。でも、びっくりするほど楽しかった。
いつも車で来ているから、ほんの5㎞歩いただけでも、新鮮。足使って歩くって、歴史探索の基本ですね。

花見のあとには団子。「今西誠進堂」さんの胡桃大福とあすかルビー大福。
吉野と大淀にも支店があり、はずれなし、の和菓子屋さんです。
焼餅が有名、みたらし団子も最高、むかしながらの大和の味です。