野焼きで製作された土製の銅(?)鐸。とても涼しい音色で講義の休憩時間を教えてくれました。
弥生式の鹿の絵がほのぼの。
さて、何から話せばいいのやら。
2019年3月8日から10日までの3日間、奈良大学通信教育部の文化財学講読Ⅱのスクーリングに参加。
本当に、一生に一度の授業だと、感動、感動、また、感動。
こんな素晴らしい講義はない。
ご担当の深澤芳樹先生を言い表すに「至心」の御仁としか言い表せない。
とくに、最終日の午後からの講義、私はほとんど泣いていました。
先生も、ときおり声を詰まらせ、涙ぐんでいらっしゃいました。
授業受けて泣くなんて、生まれて初めてでした。
これは、2日目の学外授業で訪ねた天理参考館所蔵の台湾の胸当て。
なんてかわいらしい。
親御さんの想いが手に取れそう
深澤先生は以前、奈良文化財研究所の副所長職に就かれていました。
けれど、子どもたちに接するときには「僕のこと『先生』って呼んだらあかんよ。『深澤さん』か『おっちゃん』かやで」と言い含めるほど、気さくな方です。
先生の会話のふしぶしに、子どもや人間に対する慈愛がにじみました。
フリンダース・ぺトリと濱田耕作の話。仮死状態で生まれたぺトリは神から助けられた命を誇りとし、弟子の濱田にも教えを真摯に伝えました。
ああ、ここらへん、共感。
「あかんもんは、あかん」、そう正直に叱ってくれた人たちこそ、私を想っていてくれたのだと、わかるもの、今なら。
「濱田耕作の弟子の小林行雄は『大和唐古弥生式遺跡の研究』を1943年に刊行した。日本は戦争だけをしていたんじゃない。そのことを決して忘れないでほしい」
そう深澤先生は力説されました。
若いころに世界を旅して判じたこと、どの国の人々も自国の文化に誇りを懐いていた、そして、どの国の人々も、子どもを大切に大切に想っていた。
アイデンティティとは自国への誇り。
ただし、文化を優劣という意味で比較してはいけない。
本当だな、深澤先生の言うとおり、自分を大事にできない人が自分以外を大事になんて、できないよ。
私は好きだもの、日本て国が。だから、ほかの国も好きだもの。
有心とは思慮があるとのこと。
初日の深澤先生の講義の豊富さ、藤原京と古墳と稲作と銅鐸と銅鏡と層位学的方法と形式学的方法と年輪年代法と酸素同位体比年代法、等々。
要は、文化財学購読Ⅰと考古学概論が、この初日だけで俯瞰できる内容。
それは理論の鮨詰めではなく、大きな幹に梢をちりばめていくような、花が咲いて実から蜜がしたたるような、先生がじかに掴んだ智識を惜しむことなく与えてくださった、万華鏡か流星雨かのような講義。
なんて、わかりやすいのか。
なんて、おもしろいのか。
私が、この大学で学ぶことを、この学問を学ぶことを選んだことを、無限の後押しで迎えられた気がしました。
私の授業メモ。甲骨文字の鹿。大陸から来たばかりの鹿は痩せっぽち。日本では肉がつきました。