my favorite波斯へ

永遠に、永遠に、永遠に。 ―イスパニア万華鏡―

なにものにも乱されるな なにものにも驚くな
すべては過ぎ去るが 神は変わらない
忍耐がすべてに至る道
神を体験している人は なにも欠くことがない
神のみで満ち足りる

『アビラの聖女テレサの詩』高橋テレサ訳

奈良大学通信教育部の学友Tさん、9月末から10月初旬にかけ、スペインを巡る旅に出向かれました。スペインのマドリードに5年間住まわれたTさんには、想い出を巡る旅。たくさん旅の写真を送っていただき、そのたびに、ああ、スペイン熱に魘され浮かされた二十歳のころの記憶がよみがえりました。あのころ、欧州の歴史と文化に夢中でした。

エルチェの貴婦人 ©スペイン国立考古博物館

さても私にとってスペインは、地中海のバレアス海とアルボラン海がぶつかるあたりのエルチェで発掘された、2500年前のフェニキアの文化の影響下にあるこのスペイン国宝級の彫像を、世界史の図鑑で知った3歳のころから始まりました。

Dame de Elche つまり女性像といわれていますが、私にはヘレニズム期の仏像のような、とてつもなく精神性の高い、若い男性に思えたものです。

女でも男でもどうでもよく、とてもとても、ユーラシアの西の果ての存在には思えなかったのです、まるで寧楽の都や飛鳥の都ですれちがったひとのように。

ただ、なつかしい、と。

マドリード市街。Tさん、初日はかつてのお住まいと生活圏を巡られました。

サンタ・マリア・ラ・レアル・デ・ラ・アルムデナ大聖堂。マドリードの大聖堂です。完成はつい最近、1993年です。だから、ネオ・ゴシック様式。

ラ・エンカルナシオン王立修道院。王宮の真横にある修道女のための修道院で、1960年代まで一般公開されなかったとのこと。

王宮(Palacio Real)

カルロス3世(Carlos III)からアルフォンソ13世(Alfonso XIII)まで、スペインの国王が住まいとしてきたマドリードの王宮は、スペインの歴史を物語っています。現在まで保存されてきたヨーロッパ王室の住まいを代表する素晴らしい厨房の見学も可能です。

マドリードがスペインの首都となるはるか前に、モハメド1世はキリスト教徒の侵攻からトレドを守るため、マグリット(アラブ語の都市名)に城塞を建設しました。この城塞は14世紀に旧アルカサルとなるまで、カスティーリャ国王の別荘として使用されていましたが、 カルロス1世(Carlos I)とその息子フェリーペ2世(Felipe II)の手により国王の公式の住まいとなりました。しかし1734年の火災で焼失、フェリーペ5世(Felipe V)が新しい王宮の建設を命じます。

当初建設を担っていたフィリッポ・ユヴァッラ(Filippo Juvara)の死に伴い、弟子のフアン・バウティスタ・サケッティ(Juan Bautista Sachetti)が図面を完成させます。そして工事着手から実に17年後の1738年、フェリーペ5世によって工事は完成をみます。新しい王宮に最初に暮らし装飾を完成させたのは、都市開発にかかる多々の改革やイニシアティブのため「市長王」の異名を持つカルロス3世(Carlos III)です。続いて、「鏡の間」を創設したカルロス4世(Carlos IV)やフェルナンド7世(Fernando VII)の時代にも、時計、家具、シャンデリア、燭台といった調度品が加えられました。

ベルリーニ( Bernini )のパリのルーブル美術館の下絵にインスピレーションを受けた建物は正方形の中庭を囲み、ギャラリー、さらには正面のファザード部分に武器の広場(Plaza de Armas)を備えています。各部屋の装飾、配置は王室の必要性に応じ、歳月とともに変化していきます。

3,000余に及ぶマドリード王宮の居所のなかでも、特筆すべきはサバティーニの設計による70段の正階段ティエポロ(Tiépolo)の天井画がある「王座の間(Salón del Trono)」、「アラバルダロスの間(Salón de Alabarderos)」、カルロス3世により「近衛兵の間(Sala de Guardias)」となった舞踊の間、植物をモチーフにした大胆な装飾の「ガスパリーニの小間(Salita Gasparini)」、また薬草の棚、陶製の容器、ラ・グランハ(La Granja)製ガラス瓶のほか、王室の人々のために書かれた処方箋も残る王室薬局、伝説的なアントニオ・ストラディバリにより製作された弦楽器のコレクションのある王室礼拝堂です。

esmadrid.com

ここが王座の間ですね。ティエポロの絵はヴェネツィアで観たな。

尋常ではない重厚感。国を背負うって、めちゃくちゃしんどい。そうとしか思えません。

こんな落ち着かないところで鼾かいて眠れるくらい豪胆でないと、王族は務まらないのです。

2日目、セゴビアです。ああ、古代ローマの水道橋! セゴビアといえば、これ!

セゴビアは、古代ローマ時代すでに都市として栄えていたところで、その名残りは、ほぼ完全に保存されている水道橋に見ることができます。アラブ時代に入ると、織物が盛んな町としてセゴビアの名は全国に知られるようになりました。しかし、なんといっても、15世紀がセゴビアの黄金時代といえるでしょう。それは、イサベル・ラ・カトリカ女王が活躍した時代ですし、彼女は、ここで載冠式をあげています。海抜1000メートルの高原にあり、緑が多く起伏のある美しい町です。背後にグアダラマ山脈をひかえ、エレスマ川とクラモレス川にはさまれた部分は、遠くから眺めるとまるで船のようだといわれます。仮にセゴビア城(アルカーサル)を船首にみたてると、船尾はローマの水道橋あたりだというわけです。

スペイン観光局ホームページ

アルカサル! アラビア語で城や王宮を意味し、スペインではセゴビア・トレド・コルドバ・セビリアに主だったアルカサルが設けられました。イベリア半島を支配していたイスラーム教徒から奪還した、レコンキスタの血と汗の結晶のような建築物です。セゴビアのアルカサル、瀟洒で美しい!

アルカサルの諸王の間。カスティーリャとレオンの歴代君主の肖像画、ずらり。

アルカサルの塔からベラクルス教会を見降ろして。ロマネスク、たいへん私好みの簡素な教会です。私はバロックも、ゴシックでさえも、肉感的で、押しが強く、どうも苦手なのです。反面、イスラーム建築はどんなに装飾過多でも、無駄がないように緻密に様式化されているので、大好きなのですが。イスラーム様式、むしろ私には骨っぽく思えるのです。気骨というか。

マヨール広場とセゴビア大聖堂。この大寺院、セゴビアの貴婦人と呼ばれています。裾が広がるドレスをまとっているように見えるそう。

セゴビア大聖堂の鐘楼。ヨーロッパは、この鐘楼に精神性を懸けているのです。

”Meson de Candido” 水道橋のたもとにある、セゴビアでも指折りのレストラン。素敵な内装、シック!

この”Suckling pig”はセゴビア名物らしいですね、豪快かつ滋味深い感じがスペイン料理だな~

アビラ! 私はアビラの聖テレサがスペインで最も惹かれる人物で、興味津々!

アビラ大聖堂。こんなにきちんと城郭に囲繞された中世のままの都市、ないそうです。

アビラの市街地、すんばらしい眺め! 小高い丘の上に築かれていることが良くわかります。

うわあ、ここは行きたいなあ! Tさん、うらやましい!

ここのゴシック様式はロマネスク様式と絶妙に溶け合って、好きやわ、うっとり。

祭壇はルネサンス様式。ああ、いいなあ、イタリアを思い出す。

この精緻さは、好き。匠たち、アラバスターをこつこつと刻んだのでしょう。

知性を用いて考えることができなかったころ、心の中にキリストを思い描いてみました。私はよくこういった単純なことをやっていました。これは私の魂をずいぶん豊かにしてくれたと思います。祈りとは何かを知らないまま祈りを始めていたからです。

アビラの聖テレサ

トレドの市街地。すごくわかりやすい、メインスポットが。

夕暮れで明かりが灯るアルカサル。きれい。

夜の闇に浮かぶ、ライトアップされたアルカサル。

大聖堂もライトアップされるのですね!

これは最高の演出! 素晴らしい夜景!

明けて、これもまた爽やかに美しい街並み。

大聖堂の鐘楼。フランスっぽいな、やっぱり。お手本がブルージュのサン=テティエンヌ大聖堂なので。

あー、やっぱりフランスっぽい。こういう地域性と時代性に富むところもスペイン建築の魅力。

トレドは西ゴート国とカスティーリャ王国の首都でした。確かに、古都の風格があります。

トレドには、京都やフィレンツェと同じような典雅さを感じます。華やかで、落ち着いていて。

サント・トメ教会のエル・グレコの最高傑作『オルガス伯の埋葬』。Tさん、ありがとうございます、こんな名画の写真を送ってくださって。

トレドはエル・グレコ「ギリシア人」と呼ばれたクレタ島生まれの画家ドミニコス・テオトコプロスが生きて死んだ町、それだけ魅惑された町だったのでしょう。わかる気がします。

ヴェネツィア派の豊かな色彩を好んだフェリペ2世の気に入らない画風ということもわかります。エル・グレコの画風は闇に燃える炎のようなので。

マドリードに戻られ、イベリア航空でグラナダへ。おー、とうとうアンダルシア地方へ!

ひえー! 目の前にアルハンブラ宮殿が!

サクロモンテの丘、スペイン南部のアンダルシア地方でここは避けては通れない。

サクロモンテ洞窟博物館は、アルバイシンへと通じるチャピス坂の東側一帯にあるサクロモンテの丘にあります。かつてロマ族たちが丘の斜面に穴を掘り、そこに暮らしていました。
クエバと言われるこの洞窟住居は、冬暖かく、夏は涼しい快適な環境でした。最近まで実際に使われていた12のクエバを訪ねながら、生活の様子や伝統工芸品などを見学する事ができます。
ロマ族は北インドから流れ着いた民族で、ロマ族の名称は北インドのロマニ系に由来します。彼らの多くは中東欧に居住していますが、スペインをはじめヨーロッパ各国にコミュニティーを作っています。

スペイン観光局ホームページ

かつてのイスラーム王朝の都、アルハンブラ宮殿。私がここを訪れたら驚喜で発狂するかも。

征服したイスラーム宮殿の真横にカルロス5世宮殿を建てるところが、まあ。しかし、イスラーム建築を破壊しなかった事実、人心を解する懐の深さ、やっぱり愛された王ということがにじみます、カルロスキント。

グラナダ大聖堂。ルネサンス様式ですね、イタリアみたい。

スペインっておもしろい、欧州各国の建築様式が点在している。一時代、「日の沈まない王国」として世界の覇者となった国だから。

この大聖堂の王室礼拝堂に、カトリック両王と、その娘で、美しい夫が亡くなった際のあまりの悲しみで狂ってしまった女王ファナが眠っています。コロンブスに大枚はたいて見事に賭けに勝ったほど英断を誇る剛毅なイサベル女王、その娘であるファナの繊細さに、私はイベリア半島に吹き渡る熱風のようなものを感じたものです。その狂気もまた、この世の膂力なのだと。

イスラム教徒に征服された占領地を「アル・アンダルス Al-Ándalus」すなわちアンダルシアと命名したのは8世紀のこと。

このアルバイシン地区が、フラメンコの発祥地なのです。洞窟のタブラオでの舞踏の動画、身に沁みました。

14世紀に建てられたアルハンブラ宮殿は、イベリア半島最後のイスラム王朝、ナスル王朝(グラナダ王国)の大宮殿で、イスラム建築の最高傑作。

ライオンの中庭に面する「アベンセラヘスの間」の天井。星をイメージした天井は「蜂の巣天井」と呼ばれています。王に謀反を企てて返り討たれたアベンセラヘス一族、ここで惨殺され、その飛び散った血が噴水の染みになったとも。こんな極めて美しい部屋に招かれて、まさか一族皆殺しにされるとは、意表を突かれたのかもしれません。

ライオンの中庭は、コーランに描かれた天国をなぞったもの。12頭のライオン、かつては黄金に塗られていて、この中庭の一帯は王以外の男性は入れない後宮、ハレムでした。

グラナダ王国最後の王のボアブディルは、レコンキスタで敗れ、この王宮からもこの国からも追われました。

私が追い求めてやまない夢のように美しいイスラーム建築、このまま、夢のままでいいとさえ思うのです。

コルドバ、おー、ローマ橋! やっぱり古代ローマには全意識を持っていかれます。

コルドバといえば、メスキータ。メスキータとは、古代キリスト教会を、イベリア半島を征服したイスラーム教徒がモスクに建て替え、またレコンキスタの果てにカルロスキントがキリスト教会に戻したのですが、取り壊すことはなく、モスクの中央に大聖堂を建て、キリスト教とイスラーム教が併存する、世界でも珍しい宗教施設となったのです。

カルロスキント、カルロス5世は英邁な君主でした。尊敬すべき、愛すべき名君でした。

なんて美しい。博愛と友愛の精神に満ちて。スペインのカテドラルで一番好きです。

それぞれの美点を伸ばして共存を図れる、そんな世界になることを願って。

セビリアのトリウンフォ広場。セビリアはアンダルシア地方の中心都市です。

セビリア大聖堂。ゴシックだわ、これはどう見たって。

ヒラルダの塔、基幹はイスラームのミナレット(塔)で、建て増しはルネサンス様式。

大聖堂は権力の塗り替え場なのです。しかし破壊し尽さないところが、スペインらしいのかもしれません。

大聖堂の内部、ゴシック建築の最高傑作といわれるだけあります。

4人の王に担がれたコロンブスの墓。私が10代のころにはもう、英雄視はされなくなっていたような覚えが。コロンブスが未曽有の大勝負に出た勇気、認めています、私は。

闘牛場に目が釘付け。セビリアといえば闘牛!

カテドラルの回廊、イタリアはジェノヴァの王宮みたい。セビリア大聖堂の回廊のほうが素晴らしいですが。コロンブス、ジェノヴァの出身でした、そういえば。

セビリア大聖堂からアルカサル。見渡すかぎり世界遺産です。

セビリア大学。設立は1505年の超名門!

キャンパスは旧王立煙草工場にあるのです。

ヨーロッパの大学、私はキリスト教圏では最古、1088年創立のボローニャ大学を外から眺めました。ああ、あそこでチェーザレ・ボルジアのお父さんの法王アレクサンデル6世が若いころに学んだんだな、と。

セビリア大学は、私の大好きな詩人、ファン・ラモン・ヒメネスが学び卒業しました。

いつか、ヤン・フスの足跡を辿って、チェコはプラハのカレル大学に行きたいと願っています。カレル大学も1348年創立の名門です。

私は、ヤン・フスが好きで、どの時代どの国にも後をついていきたくなるような立派な人格を持つ人がいて、私自身もおこぼれで心身を磨かれる心地がするのです。

TさんにもLineで語りましたが、ヤン・フスのような清廉なひとが世界の舵を取ることを願うばかりです。

エルチェの貴婦人 ©スペイン国立考古博物館

イベリア半島の旅もそろそろ終わりです。いつもいつも、Tさんの旅のおこぼれにあずかり、おもいっきり歴史と文化の勉強の復習になっています。ありがとうございます、最大の敬意を表して。

スペイン、カテドラルとアルカサル、そしてメスキータ、レコンキスタ。はるか紀元前の海の民、フェニキア人、イベリア半島には東洋と西洋が溶け合った仏像のような容貌の民がいたのかもしれない。

ユーラシアの西の果て、それなのになつかしい。目も眩む光と、吸い込まれるような闇、鮮やかに煌めくSentimentalJourneyもあるのだと。

なつかしい、永遠に、永遠に、永遠に。