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2025.10.11~12 神代まで身も心も揺れ戻して流れるせせらぎ

2025年10月11日、大和長谷寺へ。こもりく初瀬の霊地旧跡を辿る旅。

 「ハツセ」という言葉は、「初瀬」とも「泊瀬」とも表記されますが、これは水の流れに強い関心を持った古代人の霊魂観に由来します。我々の祖先は、水の流れが泊まっては流れ初める瀬に、終わりと始まりがひとつになる永遠への世界を垣間見、魂が死んで甦ってくる霊地として畏れ敬ったのです。そのように水の流れが泊まっては流れはじめるのは「長い谷」であり、各地のそうした奥まった谷川が「ハツセ」と呼ばれて聖地として信仰されたと考えられています。したがって、そこへ往って還ってくるのは「死と再生の擬似体験」であり、長谷詣でとは、自らの魂の死と再生を願う巡礼なのです。その幽明の境に観音菩薩は立ち現われるのではないでしょうか。

金峯山長谷寺ホームページ

赤ん坊のころから長谷寺詣でを繰り返してきた私、語られずともここが生まれ変わりをいざなう女神の胎内であること、知っていた、大和の地に生まれ育った者として、私は、ものごころつかないころから。

私は、何度も何度も殺され、よみがえってきた、たった50年の一生でも、無限に。

長谷寺とは、観音のお告げを得るために、古来より人々がここに籠り、夜を迎え、観音の訪れを夢として待ち受けた霊地、聖地。

夜から朝へかけて、それもひとつの死と再生なのだと。

観音とは、人と仏とのはざまの存在、人が仏にならんと足掻き藻掻く、泥中の蓮の花の化身なのだと。

秋のこの時期、菊の階段が演出されて。

長谷寺ほど、花の御寺の呼び名がふさわしい寺もない。

昼食は長谷寺門前の茶房長谷路で。1812年に創建された登録有形文化財のお屋敷。いただいたのは、おいしい山菜蕎麦。

池に並べられた飛び石を渡って主屋へ向かう作庭、非現実っぽくて素敵。大和の古刹にぴったりの食事処、子どものころから門前は見知っていたけれど、中に入るのは初めて、良い経験となり。

腹ごなしに、初瀬の旧跡、宮跡を辿ることに。長谷寺から国道165号線を西へ下り、先ずは十二柱神社を訪ねるつもりが団体の先客があり、そこを後回しにして、桜井市黒崎の白山神社へ。ここは、実在を確かなものとされた最初の天皇、雄略天皇の泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)の伝承地。

ここは今では朝倉宮跡ではないとされている。けれど、桜井市生まれの憂国の文芸評論家、保田與十郎の執念のようなものが立ちこめて。

雄略天皇の宮跡として、ここは『万葉集』発祥の地とされた。そう、『万葉集』冒頭の歌は、他ならない雄略天皇の御製だから。石碑にも、その長歌が刻まれて。

籠毛與美籠母乳布久思毛與美夫君志持此岳尒菜採須兒家吉閑名告沙根虚見津山跡乃國者押奈戸手吾許曽居師吉名倍手吾己曽座我許曽者告目家呼毛名雄母

籠もよみ籠持ちふくしもよみぶくし持ちこの丘に菜摘ます児家聞かな名告らさねそらみつ大和の国はおしなべてわれこそ居れしきなべてわれこそませわれこそは告らめ家をも名をも

籠よ、美しい籠を持ち、掘串(ふくし)よ、美しい掘串を手に、この丘に菜を摘む娘よ。あなたはどこの家の娘か。名は何という。そらみつ大和の国は、すべてわたしが従えているのだ。すべてわたしが支配しているのだ。わたしこそ明かそう。家がらも、わが名も。

雄略天皇『万葉集』巻1-1

さらに道を西へ下って、桜井市脇本の春日神社へ。注連縄が怖いくらい印象的で、これは、陽が落ちてからのお参りは憚られる。この境内の最寄りの脇本遺跡から5世紀後半の掘立柱穴が発掘されたこともあり、この春日神社こそ雄略天皇泊瀬朝倉宮と確定されている。

雄略天皇の宮、そんな大規模ではなかったような。

オオハツセノワカタケルノミコト。大いなる泊まる瀬、流れ初める瀬、その聖なる地を統べる、若く雄々しい王。きっと、不死鳥の尾のように初瀬の谷に流れる水の勢いを我が背景として、君臨していた。

その入り口として、ここに宮が築かれたのだと。

で、初瀬街道を東へ戻り、当初の目的地、桜井市出雲の十二柱神社へ。ここは、武烈天皇の泊瀬列城宮(はつせのなみきのみや)とされる。

武烈天皇の功績は皆無に等しいからか、山の辺の道が舞台の影媛伝説を案内看板は紹介している始末。

伊須能箇瀰 賦屢嗚須擬底 擧慕摩矩羅 柁箇播志須擬 慕能娑幡儞 於裒野該須擬 播屢比 箇須我嗚須擬 逗摩御慕屢 嗚佐裒嗚須擬 拕摩該儞播 伊比佐倍母理 拕摩慕比儞 瀰逗佐倍母理 儺岐曾裒遲喩倶謀 柯㝵比謎阿婆例

石上
いすのかみ
 布留
ふる
を過ぎて 薦枕
こもまくら
 高橋
たかはし
過ぎ 物
さは
に 大宅
おほや
過ぎ 春日
はるひ
 春日
かすが
を過ぎ 嬬籠
つまごも
る 小佐保
をさほ
を過ぎ 玉笥
たまけ
には 
いひ
さへ盛り 玉椀
たまもひ
に 水さへ盛り 泣き
そぼ
ち行くも 影媛
かげひめ
あはれ

布留を過ぎて、高橋を過ぎ、大宅を過ぎ、春日を過ぎ、佐保を過ぎ、美しい皿には飯まで盛り、美しい椀には水さえ盛り、泣き濡れて行く、影媛、あわれ。

物部影媛『日本書紀』武烈天皇即位前紀

なんだろう、武烈天皇を挑発したのは物部影媛(もののべのかげひめ)とその恋人の平群鮪(へぐりのしび)のほうだったのに。侮辱された天皇の怒りの鉄槌がおろされて殺された恋人の葬列で、自分で自分をあわれと詠う女なんて、いるのだろうか、実際。

ただ、影媛という女、男の生死を分ける女がいたことは、確かだったのかもしれない。

狂ったのか、殺された男の後を追って死ぬこともなく、ただ嘆き、彷徨い続けるだけの――

――そんな女、どこにでもいたのかもしれない。

Ⓒ奈良観光

初瀬街道を歩いて思い至ったは、今日辿った点在する旧跡、私、既に巡った記憶があったということ。

おそろしいのは、若いころの私。こんなところまで追いかけていたのか、三輪山の向こう、隠国(こもりく)初瀬の谷まで。

何を求めていたのかまでは、今はもう、定かではないのだけれど。

長谷寺の門前の温泉旅館に宿泊。大和名産を取り揃えた懐石料理の夕食。

大和の利き酒セット。御所市の千代酒造の篠峯がいちばん私好み。

河豚刺し、関西では「てっさ」と言う。鴨鍋、土瓶蒸し、霰寄せの天婦羅、京都の下鴨茶寮で修行された料理長らしく、奈良県東部の高原地帯への入り口の桜井初瀬の地で、こんな典雅な懐石料理をいただけるとは。

宿も、江戸時代から続く旅籠で、今日泊まった部屋は離れの数寄屋造りの特別な部屋。

でも、泊まって気づいた、私はこの宿のこの部屋、初めてではないことを。

初瀬川に面した部屋の窓、神代まで身も心も揺れ戻して流れるせせらぎ、私は覚えていた。

涙が出そうだった。

人は、あんな大切な想い出さえ、忘れ去ってしまえるのだと。

翌朝6時30分に宿の自動車に乗り、長谷寺の本堂まで送ってもらったのは、7時から長谷寺の朝の勤行に参加するため。1000年続けられていた、朝のお祈り、とても素晴らしかった。僧侶の声明に合わせて鳴り響く太鼓、与喜山から覗く御来光、仏教系の女子高に通っていたので詠い慣れている般若心経と観音経を私も口ずさみ。

そういえば私は15歳で仏弟子になっていた、京都の西本願寺での「おかみそり」、形だけの出家だけれども。

昨日、下から見上げた菊の階段。今日は上から見下ろして。朝のお祈りを写真に納めるなんてことはできるはずもなく、また、そんな気も起きず。

来し方行く末。

私は、許されるのだろうか。仏は、すべてを許すと言うけれど。

許されて、どうなるものでもないような。

長谷寺に泊って、私はどんな夢を見た?

夜を徹して初瀬川の流れる音しか覚えていない、そんな私は、夢を生む側の者なのかもしれない。

仏像みたいな顔をしている私は、そもそも、夢など見ない者なのかもしれない。

観音菩薩という、女を究めた女のような麗々しい風情でもって、衆生にときにはその身を投じてまでして夢を告げる、それこそ菩薩行とは捨身なのだと、流れる水の自由闊達さと天真爛漫さで、喉を涸らして喘ぐ生きとし生ける者どもの渇きを癒すように夢の手箱の封を解き、遊女のように魅了し、聖女のように救う、その退路を断つ男気のような強靭さ。

ここへ来ればもう、昨日までの私は死んで、どこにもいない。

生まれたばかりの私しか、ここにはいない。

観音のお告げ、夢の手箱。

初瀬川のせせらぎしかもう、私の耳には聞こえない。

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