古代ギリシアの英雄アキレウスは、生まれたときにはリギュロン(明るい声)と名づけられたのが、母親である海の女神テティスの育児放棄により、半人半馬のケンタウロスの賢者ケイローンに託されて以来、アキレウス(乳房に口をつけたことがない者)と呼ばれるようになりました。
かく言う私も、母乳を飲まない赤ん坊でした。
いつも母から「瓊花のお母さんは牛、あんたは牛乳だけで育ったから」と言われ、自分はどこか人として劣っているのでは、とばかり考えて育ってしまいました。
だから、英雄アキレウスのエピソードを知ったとき、とてもうれしかったものです、初めて同志ができたようで。
良し悪し問わず「非常な子ども」は孤児である要素を含むとは、おそらくはジョセフ・キャンベルの『千の顔を持つ英雄』あたりから私が勝手に拾ってきた概念。
しかし、私がアキレウスとちがうのは、メンターであるケイローンに恵まれなかったということ。
だから私は一生かけて、自分自身を半ばケダモノとして飼うことにした。
うちの息子が幼児のころに読み聞かせていた寝物語のなかで、彼の一番のお気に入りは、女神カリュプソーや王女ナウシカアーや魔女キルケーや蓮食いびとロトパゴイや一つ目巨人キュクロプスや預言者テイレシアスや人面鳥セイレーンや六つ首スキュラやら尋常ではない存在がひしめく、古代ギリシアはイタケーの王オデュッセウスの冒険譚『オデュッセイア』でした。
イタケー本国に帰還してからはてんで面白くなくなるので、美女と怪物に遭遇する冒険の最中ばかり、繰り返し読まされたものです。
英雄とは旅をするのが定めらしく、前述のアキレウスもトロイア遠征という名目で旅をするわけで、何か欠けた者は旅という通過儀礼でその穴を埋めるようです。
もしくは、有り余る何かを、旅で捨てに行くのかもしれません。
「オデュッセウスって、家に帰りたくなかっただけやん」と息子。
「おたくも、遊べるならいつまでも遊びたいんとちがうの」と私。
英雄と子どもは精神構造が同じのような気がします。
学術書からムック本まで星の数ほどあるギリシア神話の書籍。本の海での漁、本の山での狩りの果て、今の私が好んで読んでいるのは杉全美帆子さんが手がけられた、目にも脳にも楽しい『イラストで読むギリシア神話の神々』。
アキレウスも、こんな感じ。ユニークでとっつきやすいイラストに、味があって含蓄に富んだコメント、たいへん消化の良いギリシア神話の紹介本です。