
私にとって『ラマン』は特別な本だ。いや、多分私にとってだけでなく、思春期にこの本を読んだ文学を愛する全ての女性たちにとって、きっと特別な本だ。皆自分と仏領インドシナの少女を重ねながら成長したのではないかと思う。最初の恋や、その次のいくつかや、だんだん手に負えなくなってくる人生を持て余しながら、皆たびたびデュラスの事を考えたのではないか。そして思う、「私は、何歳で年老いたのだろう?」
高浜寛・作画『愛人 ラマン』あとがき
私も18歳で、マルグリット・デュラス原作のフランス映画『愛人 ラマン』を観に行った。あの映画、そしてその原作を読んで、それから、私はフランス語を習い始めた。表向きはアルチュール・ランボーの詩を原文で読みたいからという名目で。
原作は苦く、映画は甘く、そして今回入手した高浜寛がvisualizeした漫画は、傷こそがレコード盤の溝として音楽が流れてくる、それだった。
15歳のフランス人の少女と32歳の中国人の男、潮がぶつかりあうような、出逢い。そして、18歳と35歳での、潮にひきちぎられるような、別れ。
18歳、私も傷だらけだった。一生懸命、フランス語を勉強していた。もう、あんなふうに、心から話せない。18歳の私にしか話せない、傷だらけの音楽のような、フランス語。
年老いた。私も18歳で。
本の風景「愛人(ラマン)」マルグリット・デュラス(1984年)【抄】
「18歳でわたしは年老いた」。それは15歳の時だった。サイゴンの学校に向かうバスに乗った瞬間、その男の視線に気づく。黒塗りのリムジンから降りてきた男は、中国人華僑の一人息子だった。以来私には、学校へ行く時、寮に帰る時、上品な場所での夕食に行く時決まって彼のリムジンがあった。
とある木曜日の午後、男は私を町中のモダンな一室に連れていった。「愛している」。男は言う。私は答えない。私は呟く。「私があなたを愛さないように、あなたも私を愛さないで」。二人の関係に母も、二人の兄たちも、寮の舎監も、そして、サイゴンの町の人たちも、なにも言わない。「駐留区の白人の売女」と。そして、18歳の旅立ち。フランスに向かう船が別れの汽笛をあげた。男は「打ちのめされ、身動きひとつしないでわたしをみつめていた」。
航海の途中、大海原の中、寝静まった船室に、突然ショパンが鳴り響いた。その瞬間、「自分があの男を愛していなかったということに確信を持てなくなった」。note 時間の風景

彼女は私をじっと見つめる、そして忘れえぬ言葉を語る、おまえ、みんなに好かれているの? わたしは答える、そうよ、やっぱりみんなに好かれているわ。そのときだ、彼女がこう言うのは、おまえがみんなに好かれているのはね、おまえがおまえだからでもあるんだよ。
マルグリット・デュラス『愛人 ラマン』

男は女に言った、以前と同じように、自分はまだあなたを愛している、あなたを愛することをやめるなんて、けっして自分にはできないだろう。死ぬまであなたを愛するだろう。
マルグリット・デュラス『愛人 ラマン』