息子が通う小学校は、春日若宮おん祭のお知らせを全生徒へ配布しました。
2020年、今年は新型疫病退散の祈りも兼ね、感染拡大防止としてネット配信でのおん祭拝観となります。
私の誕生日は12月16日、良弁忌のその日であり、おん祭の宵宮その日でもあります。その日、奈良ではおよそ初雪とも重なり、寒さ厳しさの入り口でもあり。
冬生まれの冷たさが自分に備わって当然と、この季節、決まって私は思い知らされるのです。
若宮とは、読んで字のごとく若い王子を祀る社ではありますが、志半ばで身罷った夭折者の魂を御霊として崇め奉る社でもあります。
春日若宮について私は不勉強ですが、一考の価値は重々あります。
奈良でも悲しいニュースがありました。若い人、それもまだ中学生、そんな極めて若い人が亡くなるのは本当につらい。
私に言えるのは、自分で自分を死なせる前に、全力でその場から逃げろ! 逃げて! の一言。
――ああ、逃げようにも、出口がなかったのか――
私も14歳のころ、進みたかった道を横暴な姻戚に侮辱され、泣く泣く諦めざるを得なかった無慚な過去があります。
私は、舞妓さんになりたかったのです。
生ける総合芸術として、私は舞妓さんを尊敬していました。
それを、その横暴な姻戚の男はここに書くこともできない汚辱に満ち満ちた言葉で罵り、反故にしたのです。
私は、田舎の男が大嫌いです。
井の中の蛙大海を知らず、男に生まれただけで女を蔑む。
その男が間もなく業病に倒れ、臥床のまま10年もの長患いの果て、わずか還暦過ぎで亡くなったとき、溜飲が下がった私はただただ大爆笑しました。
14歳、全世界が、敵でした。
私はこうして、自分で自分を逃がす方法を子どものころから考え続けていました。
いや、そうせざるを得なかった――
「瓊花さんの冷めた見識、その濫読ぶり、その心身を守る術として、必要不可欠だったということでしょう」
brainにはお見通しです。
「私は、早く、おとなになりたかった。私の行く手を握り潰した連中を、引き裂いてやるために」
コロナ禍の警戒色、真っ赤っ赤に点灯された通天閣を仰ぎ、私は帰寧の途につきます。背に浴びせられるbrainの言葉にも、振り向かず。
「あなた、舞妓さん、さぞかし似合ったことでしょうよ」
「そう言われるのも、若いころはつらかった」
「まだまだお若い、瓊花さん」
「900年前、一番最初の春日若宮おん祭り、それも私は眺めた気がします」
「古都奈良に生まれ落ちた御仁は、化け物じみているねぇ」
「充分です、私ひとりで、化け物は」
2020年、災厄に憂うる今年の若宮は初雪でもって、寧楽の都を覆ってほしい。
すべての夭折者の魂を、白く、清(さや)けく、包んでほしい。
若宮よ、若宮よ、鎮まりたまえ。
否、憤りたまえ。
赫赫と、否、若々しい魂の色として蒼く、初雪より白く、透徹と、燃えあがりたまえ。
さらば思い出たちよ ひとり歩く摩天楼
わたしという名の物語は 最終章悲しくって泣いてるわけじゃない
生きてるから涙が出るの
こごえる季節に鮮やかに咲くよ
ああ わたしが 負けるわけがない
泣かないでわたしの恋心
涙はおまえにゃ似合わない
ゆけ ただゆけ いっそわたしがゆくよ
ああ 心が 笑いたがっているひと知れず されど誇らかに咲け
ああ わたしは 冬の花宮本浩次『冬の花』