私論ですが、『増鏡』の主人公は後鳥羽院だろうな、と。
我こそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け
私こそが新しく来たこの島のあるじよ。隠岐の海の荒ぶる波や風ども、それを肝に銘じ、吹くがいい。
後鳥羽院『増鏡』
配所にあって、この勇ましさ。
後鳥羽院こそ、帝王の中の帝王です。
しかし、私は鎌倉時代より、ずばり南北朝時代こそ日本史で最も好きな時代なのです。
なぜなら、それは、「悪党」の時代だからです。
かえらじとかねておもへば梓弓なき数に入る名をぞとどむる
もう生きて戻っては来れない、ならばせめて亡き者としての我が名をここへ刻もう。
『太平記』四条畷の戦い
勝ち目のない死にゆく戦を前に、吉野は如意輪寺の戸板を過去帳として、鏃でみずからの名を刻む小楠公、楠木正行。
旅人よ、行きて伝えよ、ラケダイモンの人々に。我等かのことばに従いてここに伏すと。
ヘロドトス『歴史』伝シモニデス
紀元前480年テルモピュライの戦いにおける、スパルタ王レオニダスに付き従って共に散った兵士たちの辞世の句を思い返します。
「名をぞとどむる」には、「私は確かに生きた! ここに!」と、小楠公の真情も響くようで。
ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはずおのがまにまに
燈火を、私は意識して対座はしていない。燈火もまた、私を意識して向かいあっているわけではない。ただ自分自身のあり方として、それぞれに存在しているだけだ。
『光厳院御集』雑・146
北朝の天皇として南朝の捕虜となった光厳院の、研磨された孤独。この時代は、戦力外にある皇族ですら、ボーッとは生きられませんでした。
しっかりと芯の強い方だから光厳院は逆境を超越され、天命を全うされることが叶ったのです。
此比都ニハヤル物 夜討強盗謀綸旨(ようちごうとうにせりんじ)
……で始まる、有名な二条河原落首。その作者は、私見では、近江の守護大名となった佐々木道誉ではないか、と。智識が蟹味噌のようにつまった狼藉者、それが道誉の代名詞、バサラ大名。
婆娑羅とは梵語でダイアモンド。キラキラと、ギラギラと、思うがまま生きて死んだ連中です。
そして、軍神正成率いる河内の楠木一党こそ「悪党」の中の「悪党」。「悪」とは「強い」との意味です。
身分の隔てを縦横無尽に行き来して、生き死に双方に貪欲で、あらゆる概念を笑い飛ばした連中が、無常の南北朝の世を疾走したのです。
私は公家や武家より、身近な「悪党」が好きなのです。
1991年に放映されたNHK大河ドラマ『太平記』、日本経済がまだ勢いのあった時代で、キャストもセットも豪華絢爛でした。
主人公足利尊氏役の真田広之さんは、慈愛を満々と湛えているのか非情の権化なのか判然としない化け物めいた尊氏という人物を、たいへん魅力的に演じておられました。
真田さんの神がかった身体能力、特に乗馬のシーンを見るだけでも、眼福でした。人馬一体、息を吞むほど美しく、たくましく、ああ、地に足を着けて闘う者とはこういう者だ、と見つめずにはいられませんでした。
時代劇に関し、たいへんな説得力をお持ちの名優だと思います。
大河ドラマ『太平記』は名シーンだらけですが、なかでも私が必ず泣いてしまうのが、北畠親房と顕家の父子の最後の別れです。
後藤久美子さんは正直そんなに演技が巧みとは思えないのですが、このシーンはもう、彼女の役者人生の最高峰ではないでしょうか、演技とは思えないほど真に迫っていました。
それはきっと、顕家の父の親房を演じられた近藤正臣さんが、とてつもなくすばらしい役者さんで、南朝の屋台骨として私情を一顧だにできない高邁な姿勢を貫かれ、なおも隠しおおせず滲む親としての愛情、それが香り立つほど見事だったからではないでしょうか。
何か、ほんとうに、血の通った父と子に見えました。今でも定期的に見返すシーンです。
私と息子がはまっている少年漫画『逃げ上手の若君』。侮るなかれ、最新の学説と徹底した資料の裏付けで万全を期して描かれている傑作歴史巨編です。
なぜ北条が足利が新田が楠木が大塔宮が後醍醐天皇が、そう生きて死んでいったのか、すっと腹に消化される卓抜した解釈と斬新な洞察力で描かれています。
花将軍北畠顕家がなぜあそこまで強かったのか、一読すれば秒速で腑に落ちます。
ヒーローとはこれいかに、です。