2022年7月22日、海のスペシャリストである海人族(あまぞく)の末裔の産土、村上海賊の本陣、しまなみ海道へ。
私、広島県は通り過ぎた経験しかなく、きちんと滞在するのは初めて。
途中立ち寄った岡山県の吉備SA。
笠岡市が名産品を出店をされていました。
石田製帽さんの品々がお値打ちで販売されていて、主人に少し早い誕生日プレゼント。
日本製の麦藁帽子なので、当然ながら日本人によく似合う。
帽子にはうるさい主人ですが、これはすぐさまお気に入り。
因島(いんのしま)から生口島(いくちじま)へ。
視界に納まるからでしょうか、島を見ているとひとつ欲しくなる。
生口橋は道路照明灯に特徴あり。
レモンの産地、生口島に宿泊。
瀬戸田町観光案内所。
生口島の中心部。
柑橘類のオブジェ。
島ごと美術館なのだそう。
「おら、海を目指します!」
いや、先ず、宿を視に行くよ。
しおまち商店街。
岡哲商店さんのコロッケを立ち食い。
お店のおばちゃん、満面の笑顔で「コロッケ3個、300万円」と。
私も笑って「おつり700万円」と千円札を出して答えました。
「ここで食べてええけん。紙もここに捨ててええけんね」
おばちゃんの広島の訛り、とてもあたたかく響きました。
脂っこくなくて芋の味が立つ、おいしいコロッケでした。
レモンカフェ汐待亭。
この商店街のメインスポット。
眠る看板猫ちゃん。
そして何気に窓に映った家族写真。
ご存じ、しまなみ海道はサイクリングロード。
いつか我々も挑戦したい。
さすがレモンの産地、郵便ポストもレモン色。
島の西、瀬戸田港。
この港に面した旅館に今日は泊まります。
瀬戸田水道の向こう、高根島。
川に見えますが、海なのです。
しおまち商店街を東に戻り、平山郁夫美術館へ。
日本画の巨匠、平山先生はこの島のご出身。
故郷へ錦を飾られたのです。
写真撮影可能で、真ん中の作品『絲綢の路 パミール高原を行く』は、もう、見事、の一言でした。
これまで平山先生は奈良やシルクロードに所縁有る数多の作品を物してこられ、私も見知ったつもりでいましたが、なんにも知っちゃいなかったと、この日初めて思い知らされました。
たいへん品の良い美術館。
日本画の顔彩の原料の紹介も、こんなに洗練されています。
無言館の展示。
写真を撮る気にもなりませんでした。
目で見て、心に焼き付けるために。
ミュージアムショップ。
法隆寺の壁画の模写が。うまいなあ。
平山先生、素描のイロハ、絵画の基礎が完璧です。
ミュージアムショップで一目見て恋に落ちたブレスレット。
ラピスラズリはアフガニスタンが産地。
平山先生はアフガニスタンの風景や人物をたくさん描かれていて、私も思うところは同じ。
ハイビジョン室。
平山先生、私の行きたい場所ぜんぶ、絵に描かれている、当然ながら。
瀬戸内海を表現した日本庭園。
無駄なく、でも滋味深い、館のあるじの作風に似て。
ロビーに掲げられた陶板複製画の『仏教伝来』は、平山先生を世に出した作品。
広島で被爆した私は、放射能症で苦しんだ。平和を祈る作品を一枚でも描きたい願いが「仏教伝来」を描いた。17年にわたる、インドへの求法の旅に出た唐僧、玄奘三蔵の生命(いのち)がけの姿を、私の画家としての出発点とした。
平山郁夫「平山郁夫美術館」ホームページ
私はヒロシマにいる。
そう骨身に沁みました。
蝉はここでも鳴く。
「平和の祈り」がこの美術館の設立のベースなので、どこもかしこもあたたかい趣。
陽射しのもと、瑠璃はひとつひとつ異なる表情をあらわに。
瑠璃も水晶も肌当たり良く、嵌め心地も最高です。
3,000円とは思えない見た目と機能。
古墳からの出土品のような気高いPrimitiveさに惹かれました。
私はモノに詩と物語を求めるので。
つまり叙事詩を。
「なんか、奈良にいるみたい」
息子、それを言うたらアカン!
いや、いいか。
暑いのですが、暑苦しくはない。
瀬戸内は気候に恵まれていますね。
平山郁夫美術館併設のカフェ、喫茶オアシス。
ここ、入っておけば良かったです。
Peaceful blue gingerって名前の青いカクテルジュース、気になって仕方なく。
私は青い色が好きなので。
駱駝のオブジェ。
帽子とストールでキメています。
海水浴場、瀬戸田サンセットビーチへ。
かわいい、なつかしい雰囲気。
遅い昼食、レストランでお食事。
うどんと尾道ラーメンとチャーシュー麵。
これがもう、ぜんぶ絶品でした!!
うどんのだし、ラーメンの醤油、無茶苦茶おいしかった!!
感動すら覚えましたよ。
今日は足だけ漬けて、明日は朝から泳ぎに向かおう。
え、なんか素敵な構図。
レコードのジャケットみたい。
宿の窓から港を見おろす。
旅館つつ井は平山先生の馴染みの旅館です。
薄切りレモンが浮かぶレモン風呂。
女性客は私だけで、貸し切りでした。
逆光の息子。
窓から海が見えるって、最高。
畳敷きが心地良い。
親戚の家に泊まるみたい。
夕食は2階の広間で。
私たちの部屋は4階です。
この後もお料理がたくさん。
ものすさまじい量でした。
瀬戸田レモンたっぷり、レモンジュース。
実は料理よりこれが記憶に残り。
生口島、レモン好きの私にはここは天国のような島。
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう高村光太郎 「レモン哀歌」『智恵子抄』
翌朝、昨夜食べ過ぎて食傷気味の息子。
「良かった、朝ごはん普通の量で」
パン食も用意されていました、レモンバターとレモン蜂蜜を添えて。
もう一組の泊り客は関東方面からの壮年の男性ばかりの団体で、しまなみ海道を自転車走行の目的を同じくする方たちでした。
私の独断と偏見ですが、自転車乗りはエリートが多い。
エリートは、努力を怠らないので。
紳士御一行、サイクリングは体が資本のためかすごくきちんと飲み食いされて、空間を同席するには最適な方々かと。
なお、紳士御一行の行き先は、我々同様、大三島(おおみしま)の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)でした。
ああ、生口島は他にもたくさん観るべきところがあったのです。
再訪を誓って!
「泳ぎたいねん」と、ごねる息子。
朝っぱらから瀬戸田サンセットビーチを訪ねました。
さすがに日本海に比べると水の透明度は落ちますが、ここはほのぼのとした海水浴場で、小さな子どもを連れて遊ぶにちょうどいいと思いました。
内海だからってとんでもない、瀬戸内海、広いです。
生口島と大三島を結ぶ多々羅大橋。
すんごい綺麗な橋!
瀬戸田SAの下り。
うわー、これは来て良かった!
「生口島、ここでお別れ」
そうだね、でもI’ll be backだぜ。
多々羅大橋を渡って生口島から大三島へ。
広島県から、愛媛県へ。
今更ながら、芸予諸島を橋でつなぐって、壮大な野望と希望の大事業。
いろいろ問題や苦労もあったでしょう。
でも、この成果、こんな素晴らしい景色、こんな悠然と車で海を走れるだなんて、綿密な技術力あってこそです。
全然関係ない話かもですが、モンゴル帝国軍は征服地の人民のうち、職人つまり技術者だけを生かし、残りは皆殺しにしたそうです。
技術力、物を生み出す力、これこそ人を動かす力。
しまなみ海道から教示されました。
大三島といえば、山と海と戦の神を祀る、大山祇神社。
もとも大三島神社と呼ばれていたのは、御神体の三山を拝するからでしょう。
もんげー立派なお宮様です、大山祇神社。
伊予国一の宮、名神大社、国弊大社、日本唯一の日本総鎮守、四国一の神社です。
総門の、軍神? もしくは村上海賊の猛者?
2010年に再建された総門。
うちの息子と同い年です。
小千命(おちのみこと)御手植えの楠。
幹周11m、樹高15. 6m、樹齢2600年!
小千命は、この神社の御祭神大山祇命の子孫とのこと。
芸予諸島の真ん中、大三島。
神代からこの島は瀬戸内の要として重視されてきたのです。
これは御手植えの楠。
写真撮るのを忘れてしまいましたが、境内の国指定巨樹群の中で最古の楠が、樹齢3000年の能因法師雨乞の楠。
今から約千年前、後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう、在位1045~68)の時代。伊予国守藤原範国(ふじわらののりくに)から降雨祈願のために遣わされた能因法師が、幣帛に「天の川苗代水にせきくだせ天降ります神ならば神」と記して雨乞の祈祷をしたところ、雨が3日3晩降り続いたという。
能因法師雨乞の楠の案内板
実綱が伊予の守にくだり侍りけるに、歌好む者にて、能因法師を具して、伊予にくだりて侍りけるに、その年、世の中日照りして、いかにも雨降らざりけり。その中にも伊予の国は、ことのほかに焼けて、国のうちに水絶えて、飲みなむずる水だになかりければ、水に飢えて死ぬる者あまたありければ、守実綱、嘆きに思いて、祈りさわぎけれど、いかにもしるしも見えざりければ、思いわずらいて能因法師に、「神は、歌にめでさせ給うものなり。三島の明神に、歌詠いてまいらせて、雨降れ。」とせめければ、ことに清まはりて、いろいろのみてぐらに書きつけて、御社に参りて、伏し拝みけるほどに、にわかに曇りふたがりて、おおきなる雨降りて、堪えがたきまで止まず。
天の川苗代水にせきくだせあまくだります神ならば神。『俊頼髄脳』
あまくだります神ならば神。
天から降りたもうたのなら、雨をも降らせられよう、神ならばこそ。
神は、歌を好む。
自分は、神が好むものを生み出せる。
神は、我が意を汲まれずにおられまい。
すがすがしい自負に溢れた能因法師。
かっこいい男です。
かっこいい神社によく似合う。
さすが小倉百人一首でも一二を争う覚え易くノリノリの歌を詠むだけある。
嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり
本殿から御手植えの楠を望む。
ここのお宮様オリジナルおみくじ、引いてみましたところ、大吉。
万事正直にして神をうやまい国家の為をなさんと心うるべし
大人君子の志あらば望外の福あり
国家の為に、ですか。
こんな気宇壮大な勧奨を賜ったのは、生まれて初めて。
さすが国家鎮守の本陣です。
瀬戸内海を眺めて思ったこと。
この海は戦場だったと。
神代の渡来人の時代から、源平の戦、蒙古襲来、近代戦争まで、およそこの海が関わらなかった戦はない。
こんなにも闘いを肉感できた神社、これまでにない。
すごいところへ来た。
炎天下、鳥肌が立ちました。
海事博物館は、昭和天皇御採集船葉山丸記念館でもあり、四国の山海の生物標本が満載。
昭和の理科室のようで、なつかしかったです。
宝物館と国宝館。もんげーの百乗。
なにしろ日本の武器国宝の8割がここの宝物館に納められているのです。
私がここを訪れた最たる理由も、ここのお宝が見たかった、それ。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主要メンバー、頼朝と義経の鎧が向かい合って。ほかにも献納者には、和田義盛や巴御前も。
お宝のなかで最も目を奪われたのは、南北朝時代に後村上天皇が献納された大ぶりの刀。今朝、精錬されたかのような煌めき。
これほどの名刀を生み出す余力がまだこの頃の南朝にはあったのか。
奈良県民の私、しんみりしました。
国宝館には鎧が両翼にずらり。
たじろぎ、おののきました。
うわー、動き出しそう!
怖い怖い、武器庫はまじで怖い!
そのなかでも目を引く、腰がくびれているゆえに女性用と謂われる鎧。
これは大三島の伝説の悲恋の主、大祝(おおほうり)家の鶴姫のものだそう。
私、小学生のとき、『つる姫』の本を読みました。
我が島を守るため、三島水軍を率いて闘う絶世の美少女、つる姫は瀬戸内のジャンヌ・ダルク。
許嫁の壮絶な戦死、後を追うつる姫、なみだなみだの海の叙事詩です。
事実でなくてもいい。
幻でもいい。
強い者に立ち向かう勇気、イヤなものはイヤだと叫ぶ勇気、Identityを守り抜く勇気、それが伝わるのなら。
つる姫さま、私やっとあなたに逢えました。
うれしいな。
幼なじみと再会が叶ったようで。
『つる姫』の作者、阿久根治子さんは、木梨軽皇子の評伝『流刑の皇子』の著者でもあります。
私と感性が似通う御仁だと勝手に共感させていただいています。
伊予は、記紀の悲恋の皇子と皇女が流され共に死んだ地。
二人が埋葬された地、もう、その海の向こう。
いつか必ずお参りさせていただきます。
道の駅今治市多々羅しまなみ公園。
汐の香り。磯の匂い。
見飽きないもの、それは海。
小さなレモンの百貨店、大三島リモーネ。
レモンの焼き菓子がたくさん、どれもとてもおいしかったです。
レモンモチーフの雑貨、私はマグネットを買いました。硝子製でレモンと自転車の図、しまなみ海道らしい。
駐車場は1台限定。行くまでの道も細い細い。
それでも伺う甲斐のあるお店。
オンラインショップがあるので、私はそっちも利用しようと思います。
岡山県の日生(ひなせ)の旅館に泊まって、帰り道、牛窓のホテルリマーニに立ち寄り。
高級リゾートなのですが、ちょっと鄙びた雰囲気。
そこがいい。
プールを眺めて。
宿泊客気分。
牛窓は日本のエーゲ海と謳われています。
だからこのホテルもギリシア風。
どこか葉山にも似ていますね。
上品でも尖っていないところが。
ああ、本家のギリシアに行きたくなりました。
牛窓オリーブ園へ。
あー、これはエーゲ海っぽい!
牛窓もきちんと訪れないと。
とってもとっても素敵なところだから。
オリーブは平和の象徴。
戦争の意義は、平和を護るため?
平和はいつもそこにあるものではない。
それが昨今の世界情勢から思い知らされました。
If destiny gives lemon to me, I’ll do the effort which makes lemonade with that.
運命がレモンをくれたら、それでレモネードを作る努力をしよう。
Dale Breckenridge Carnegie
デイル・カーネギーの名言です。
酸っぱいレモンはポンコツの代名詞。
それでもそれを甘くおいしいレモネードにできる、努力次第で。
大島の村上海賊ミュージアム、四国本土にも行きたかった。
こんなところで生まれたら、そりゃあ海に尽くすしかない。
文字通り命懸けで闘った人々、海のスペシャリストの諸島、まだまだこれから、これから。
I’ll be backだぜ。