人のいない、風通しの良い場所。
No man’s landを求めて。
で、2021年8月26日から2泊3日で、京都は丹後半島の伊根の舟屋に泊まることに。
奈良から京都の北、丹後半島まで、京都縦貫道を使って2時間半で到着。
平日の早朝、誰もいない、伊根浦伝統的建造物群保存地区。
伊根湾のそのまた小さな湾に面した、伊根町観光案内所。2階は食堂です。
1階のスーベニールショップで絵葉書とマグネットを買いました。
伊根町観光案内所の背後、伊根小学校です。
最高の環境、おとなの目が行き届いて、舟屋の景観と海が目の前。
伊根小学校を見下ろすように、伊根中学校。かわいい造り。
漁村の伊根、おとなの職場である海から、子どもたちを見守っているのです。
湾岸の狭隘な土地を有効利用する、イタリアのアマルフィを思い出しました。
海上タクシーに乗りました。
伊根湾一周、30分。
日本のヴェネツィアと謳われる伊根。
海洋民族の魂の結晶のよう。
船に乗り込んだ段階で、「海は最高の癒し系」と得心。
伊根湾の関所のような青島。ここまでが内海です。
海猫にかっぱえびせんを投げますと、見事にキャッチ。
これがもう、小躍りするほど、面白い!
コロナ禍の閉塞感から、解放された心地。
伊根、来て良かった。
舟屋の宿『蔵』さん。人気の一棟貸しの宿です。
暖簾の奥、波の光きらめく。
ほんと、水の都ヴェネツィアみたい。
私は20代のころ、イタリア半島を1か月かけてうろつきました。
ミラノ、コモ湖、ベルガモ、トリノ、ヴェネツィア、ヴェローナ、ジェノヴァ、パルマ、モデナ、フェラーラ、ラヴェンナ、ボローニャ、フィレンツェ、ピサ、シエナ、サンジミニャーノ、アッシジ、ペルージア、ウルビーノ、サンマリノ共和国、ヴァティカン市国、ローマ、ポンペイ、ナポリ、ソレント、カプリ島、イスキア島、アマルフィ、思い出せない地名もあり。
シチリア島やサルデーニャ島などMagna Graecia(マグナグラエキア)を攻められなかったのは後学と見做し。
イタリアのすべてを知ったわけではありませんが、それでも敢えて最愛の地を選ぶなら、それはヴェネツィア一択です。
伊根は、地形はヴェネツィア本土に、内実はその群島のリド島に似ています。
リドは、ミラノ大公家傍流のモドローネ公爵ルキノ・ヴィスコンティが監督した映画『ベニスに死す』の舞台です。
偶然、さっき乗った海上タクシーの伊根愛にあふれかえった船頭さんが、蔵さんのオーナーのお父さんでした。
実はこちらではなく、もっと素朴な舟屋に泊まろうしたのですが、空いていませんでした。
蔵さんも、キャンセル空きでたまたま泊まれたのです。
今は板張りのこの1階、昔は海で、ここに船を舫っていました。
昔の船は木造、雨ざらしでは傷みます。だから屋根付きのガレージが必要なのです。
2階。おしゃれにリノベーションされた和室。
舟屋は文字通り船置き場、船の家で、人は道を挟んだ向こうの母屋に住むのです。
初めての一棟貸し。快適すぎて、病みつきになりそう。
2階のベランダから伊根湾の内海を臨む。
海上タクシー遊覧の海図。
伊根湾の外海を目指して。
右手の青島には、悲しくも優しい民話が伝わります。
宿の部屋に置かれていたのは伊根浦舟屋群等保存会が製作した絵本、『子どもたちにおくる 伊根浦ものがたり 鯨も北前船もやってきた』。
たいへん良く編まれた読み物で、狭い土地ゆえに古代は山手に文化を築いていた等々、伊根の歴史と民話を丁寧に紹介されています。
なかでも、伊根湾の地形を活かした鯨の追込漁が、いかに村総出の一大事業か、目を瞠りました。
そして、鯨の母子の悲しい物語。私はこういう話に滅法弱い。
「『スーホの白い馬』みたいな話、ママ絶対に泣くね」と息子。
青島には、鯨の供養塚が3つ築かれています。
2つの塚は、母鯨と、そのそばを離れなかった子鯨のもの。
では3つ目は?
その答えはもう1冊の本、『舟屋むかしいま ―丹後・伊根浦の漁業小史―』に。
母鯨のおなかには、胎児がいたのです。
伊根の村人は、生活のために母鯨は食べましたが、子どもの鯨2頭はそのまま埋めてあげたのです。
どこの漁師さんもそうでしょうが、伊根もきちんと施餓鬼供養をされています。
いややわ、言い伝えを知ってから青島を見たら、涙が止まれへん。
命をいただいているのです。
筆者の和久田幹夫氏の巻頭言、「海は宝 たたかいの場」。
ああこれが知りたかった、聞きたかった、この生きた海の人々の声が。
コロナ対策もあり、食事は宿ではなく提携先の食事処で摂ります。宿のオーナーが食事処まで車で送ってくださいました。
ここは「地魚料理よしむら」さん。
穴場!
先付は、へしこと烏賊の煮付と小鯵の南蛮漬け。
私の南蛮漬はサンキュウ(白鯖河豚)。
鯛にヒラメにヒラマサ等々、8種類の刺身は種類が多過ぎて、名前が覚えられませんでした。
あったりまえですが、さっきまで生きて泳いでいた魚、その、おいしいこと!
どう言えばいいのか、澄んだ香りがするのです、魚なのに魚臭くなくて。
海の王様、イシダイの煮付。
漁師のご亭主が海から獲ってきたばかりの新鮮なイシダイ、伊根の海の水がきれいなので、これも香りが澄んでいます。
煮付、絶品でした!
大きな岩牡蠣。
夏の旬、一口!
鯛と太刀魚。
どんどん出てくる魚料理。
ここらへんから満腹ゆえ、わけがわからなくなりました。
鰆、息子が貪り喰らい。「ふわふわなんだよ」と。
魚好きの主人も「これは大正解、大成功」と唸る。
もう食べられない!
でも、最後に小鯵やサンキュウの揚げ物がどっさり!
サービスで、てんこ盛り!
こちらも実は旅館です。
舟屋じゃないので出遅れてしまったと。
でももともと魚料理が売りなので、「味は伊根で一番!」とご亭主。
ご亭主、食事が終わったら私たちを宿まで車で送ってくださいました。宿のオーナーに迎えは要らなくなったと連絡すると「吉村の大将に気に入られたんですね、珍しいことですよ」と驚かれました。
次はここに泊まろうかな。
1日1組の貸し切りで、展望風呂があるそうです。
食事は、言うまでもない、伊根で一番です。
明けて、朝食は前日に買っておいたものを。
昨夜に魚料理を食べ尽くしたので、軽めの朝食でちょうどいい。
海際のデッキ。
早朝の汐風が冷たくて気持ちいい。
問答無用で泳ぎたくなる伊根の海、透きとおっています。
伊根の子どもたちは、就学前には泳ぎを修得するそうです。
命を守るために、海で生きるために、です。
「おらの海って感じ」
わかるわ。
湾って、包まれる海だもの。
来たときよりも美しく。
立つ鳥跡を濁さず。
それが我が家の旅のmottoです。
チェックアウトして向かった先は、海に一番近い酒蔵、向井酒造さん。
海に面した酒屋さんです。
お目当ては、女性杜氏が醸される古代赤米のお酒『伊根満開』。
時が止まったような。
静かな静かな漁村。
すっかり好きになってしまいました。
名残惜しい。
ちいさな海の都。
名残惜しい。
たくさんの海の想い出。
次の目的地までの途中、浦島神社へ寄りました。
この丹後半島の伊根は、徐福や浦島子伝説など、外つ国(とつくに)の文化の懸け橋である「海の英雄」の舞台です。
網野銚子山古墳や赤坂今井墳墓や神明山古墳など、遺跡からの出土品も素晴らしく、古代丹後王国の誉です。
北前船の模型。私の亡き父は富山の出身。
敷地に小川が流れる豪農でしたが、末っ子の父には関係ありません。
なんにせよ、日本海沿岸は、北前船の恩恵を多大に受けています。
浦島神社の境内は本庄小学校とつながっています。
子どもたち、伝説と直結しているのですね。
それにしても伊根の学校、どれも建物が瀟洒です。
網野町の夕日が裏海岸。
今年の夕陽は赤く、海を銀色に染めました。
定宿もキャンセルが多く、海もほぼ貸し切りでした。
網野の海に着くなり、泳ぎに泳ぎ、やっと陽が沈む。
伊根満開、世界一予約の取りづらいデンマークはコペンハーゲンの気鋭のレストラン「noma」に採用された、数少ない日本酒です。
採用理由は、日本の古代米の赤米を醸したその「日本らしさ」だとか。
でも高価ではなく気取らない、魚によく合う、軽やかなお酒です。
このうっすら赤い日本酒は、8月生まれの主人に。
いつもありがとう、私と息子を大切にしてくれて。
私が人生で出逢った人たちの中で、あなたは最も善き人です。
息子「香りだけ嗅がせて」と。
私も息子を真似て、古代米の赤いお酒の香りを聞きました。
優しく穏やかな香り、伊根の海の香り。
夕食も、翌日の朝食も、部屋出し。
大浴場も入れ替え制。
ほぼ誰にも会わない。
旅の最終日、朝5時半、誰もいない海。
主人と息子は朝食前に泳ぎに行くそうな。
うちは早寝早起きがDefaultなのです。
泳ぐ主人はどこかの国の工作員のよう。
古代、こういった身体能力の高い者が海を越えて日本列島まで辿り着いた。
イトマンスイミングスクールに6歳で放り込まれた息子、8歳で4泳法をマスター。
「泳ぎを覚えさせてくれたことはママに感謝してる」との言。
私、昨日海で泳いだら、立ち泳ぎも平泳ぎもヤバかった。
バタフライ以外は泳げたのに!
イトマン、行こうかな。
工作員父子、6時から8時まで、朝の海を借り切って泳ぎ尽くし。
「今年、海に来れて、良かった」
そだね、一瞬一瞬が、宝物だね。
定宿の最寄のアイスクリームショップ「酪ママ工房RoyalMerry」さん。
以前から気になっていましたが、巣蜜ソフトクリームなんてとんでもなくおいしそうなメニュー目当てに訪ねてみたところ、お休み。
しかし、旅館の売店で買えたので試しましたら、これがもう、私が今まで食べてきたアイスのトップ3に入るおいしさ!
平群mammaのピスタチオジェラート、普通検索観音さんツツコワケさんと食べたならまちKaramellのアイス、そして、これ。
主人も息子も飛び上がっていました。
「ゲッキうま!」
2日連続でアイスを購入しました。
通販もOKみたいです。
嬉しい発見でした。
天橋立ビューランド。9時開園とほぼ同時に入場。
うねるような日本三景天橋立の飛龍観。
高所恐怖症の私には至る所、地雷。
またのぞき。
誰もいない。
朝早く動くと、得ですね。
観覧車にも乗って、より高所から天橋立を眺める。
信じられないことに、我が家が遊園地に来たのは、まさかのこれが最初!
「別にいいよ、遊園地は保育園でも小学校でも友達とでも何回も行ってるから。おらは、パパとママとは、お寺やお宮に行きたいの」と息子。
あ、それでいいんや。
すまぬ、テーマパークにはこれっぽっちも興味のない親で。
しかし、昭和レトロな天橋立ビューランド、こんな素朴な遊園地なら何度でも行きたい。
天橋山智恩寺、天橋立文殊堂へ。2年ぶりです。
天橋立文殊堂は日本三文殊のひとつ。
奈良の安倍文珠院は地元なので、残るは山形県の亀岡文珠だけ。
お守りメダル。
銀色がしぶい。
扇子おみくじ。
松によく似合う。
知恵の輪。
海の民のためのお守り。
江戸時代、航海の安全のために建てられました。久世の渡を守ってきた石燈籠を文殊菩薩の慈悲の光と感じ、地元の人々から智恵の輪燈籠と呼ばれるようになったとされています。
智恩寺のホームページより
ブログ友達のジゼル(Candy)さん、息子さんのぶんも、奈良と京都の文珠さまにお祈りしてきました。
苦難を避けず直進せよ。
僭越ながら宮沢賢治の言葉を贈ります。
そう、私自身へも。