2024年8月12日、兵庫県朝来市の竹田城跡へ。先ずは山城の郷「交流の館」で情報収集。一般車はここで駐車し、徒歩40分で竹田城跡へ。山のふもとまでバスとタクシーも途中までは通っていますが、そんなに深い山道ではないので、急ぎでなければ徒歩で充分かと。
標高350mの古城山の山頂、竹田城跡へ、いざ!
受験に落ちない岩など、すがすがしい景観となだらかな山道を登り、竹田城の縄張の外周へ到着。縄張とは城の設計計画プランを意味します。竹田城の縄張は、虎が臥したように見えるので、古城山(こがさん)は虎臥山(こがさん、とらふすやま)とも呼ばれ、竹田城も虎臥城(こがじょう、とらふすじょう)とも呼ばれています。
大手門から三の丸へ。石垣は野面積み、日本一の石工集団、近江の穴太衆が手掛けた傑作です。
三の丸の北千畳。眺め、すーばらしー。
これは、訪れて大正解。落城したとはいえ、こんな立派な様相を残した山城、滅多にない。
三の丸、二の丸、本丸、本丸の天守台、そして南二の丸の南千畳を目指す。
なかなかの急勾配。外敵の侵入を妨害するためでしょう。
二の丸。ああ、日本のマチュピチュと呼ばれるのも肯ける。
本丸の天守台から南千畳を臨む。遺跡としても、たいへん魅力的な景観。
天守台から降りて、さあ、お目当ての南千畳へ。
うーわー! 最高! やっぱり石垣は野面積みがいちばん!
すばらしい。山名宗全、羽柴秀長、赤松広秀、室町時代から安土桃山時代を経て天下分け目の関ヶ原の戦国時代まで、錚々たる城主を掲げた名城だけはある。重ねて、すばらしい。
私は城にはそんなに興味はないのですが、それでも、遺跡としてこの竹田城跡には国籍を取り払った地球規模の魅力を感じ取れ、心底感銘を享けました。
駐車場まで戻ってくると、大きな白い山羊が草を食んでいました。行きでは気付かなかったね。
山道でチラシを配っていたお店に寄り、昼食を。和牛の焼き肉ランチ。昭和レトロなお店ですが、有名なようで、繁盛していました。
お店の外に出て、びっくり仰天! 目の前の山、そのいただき、竹田城跡が!
こんな肉眼ではっきりと確認できる山城、それも山頂に。
おっそろしい。
山の稜線が寝そべる虎そのもの。天下を睥睨する虎の城、それが、天に臥す虎、竹田城。
いやあ、参った参った、降参です。