2024年7月27日、五條市霊安寺町の御霊神社本宮へ。ここは、五條市と大淀町に23社を数える、井上(いかみ)内親王を祭神として奉る御霊神社の総社です。
井上内親王とその息子の他戸(おさべ)親王が、藤原式家の良継と百川の謀略により、冤罪で幽閉された挙句に怪死としておそらく殺されたに等しい最期を迎えさせられたかは、御霊神社本宮のホームページにたいへん詳しく説かれています。
私は、桓武天皇と藤原式家については紙幅を割く気もしません。
長兄の広嗣が光り放っていた気高さを、良継と百川、この弟ふたりからは何一切感じ取れませんし、御霊信仰を立ち上げて沙汰の始末をつけようとした桓武天皇も、いけ好かないからです。
祟られるのが恐ろしいくらいなら、最初から何もするな、と。
そもそも祟られるようなこと、最初からするな、と。
御霊信仰が始まる以前に、そういった動きは既にあったのだと私は思います。五條市の語源は、御霊(ごりょう)から来ているとも。この地の民が、皇族の身分を剝奪されて庶民に落とされた上に同日に不審死を遂げた哀れな母と息子を、心から手厚く偲んだ証拠です。
ここまで無力に貶められた母と息子、殺すまでして、いったい何が恐ろしかったのか。
37歳で酒人(さかひと)内親王を、45歳で他戸親王を産んだ井上内親王。11歳から28歳まで伊勢の斎宮として過ごした彼女は、世の汚わいにまみれていなかったぶん、並の女よりはるかに心身共に若く健やかだったのでしょう。
清らかさは、それを持たざる者には凶器ともなり得る。
桓武天皇の母は古墳時代の渡来人の末裔で、つまり百済王家の血を引いていない、ただの帰化人とも言われています。光仁天皇となる前の白壁王が、帰化人の下女に手を付けたのだと。聖武天皇の娘の井上内親王と比べると、桁違いの卑母です。だから、井上内親王と他戸親王は庶民に落とされた、桓武天皇の母と同じような身分に。
静かな境内、初めて桓武天皇を気の毒に思いました。彼はこの癒えようのない劣等感に苛まれて70年も生きたのだと。生き地獄を生きたのだと。
そして再認識しました、どういった存在が愛され慕われ、そして偉大なるものとして畏れ敬われるかを。
あなたのように、一度魂全体を傷つけられてしまったかたは、もうきれぎれの喜びに安住することはできません。
あなたのように味気ない無を感じとったかたは、最高の霊気を受けて晴れやかになるほかはないのです。あなたのように死を知ったかたは、神々にまじわってよみがえるほかはないのです。
あなたのお心がわからない人は仕合わせです。
あなたのお心がわかる者は、あなたの偉大さと同時に、あなたの絶望を、わかち持たなければならないのです。ヘルダーリン『ヒュペーリオン』
立派な生き方をせよ。それが最大の復讐だ。
ユダヤの聖典『タルムード』
一粒の麦は地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。ヨハネ福音書12章24節「希望の種」