ならだより

2023.5.5 葛城の神の苦しみ尽きがたき

2023年5月5日こどもの日、奈良県御所市の葛城一言主神社へ。
ヒトコトヌシの神、地元では「いちごんさん」とお呼びしています。

なんかもういまさら、というほど、私は物心つかないころからいちごんさんの脇を通らせていただいていたのに、時折お参りさせていただく程度の不届き者であります。

二上山のふもと、葛城の北部に生まれた者にはちょっと離れた「本家」、それが葛城一言主神社から南に広がる「高宮」のあたりです。

心理的に近過ぎて、反って足が遠のいていたためか、いちごんさん、息子は赤ちゃんのときにお参りして以来。
息子「このお宮さん、いつも遠くから見ていたよ」との言。

参道の二の鳥居をくぐると、蜘蛛塚。蜘蛛とは、土蜘蛛。ヤマト政権に刃向った者への蔑称です。
土蜘蛛、まつろわぬ民、か。
いいですね、私も反骨精神旺盛なので、親近感が湧きます。

というか、自分の産土を強奪してくる連中に、反骨もくそもない。
尊厳を蹂躙されて平気な者がこの世にいるでしょうか。

さて、いちごんさんの境内には蜘蛛塚が3か所ありまして、その意味は追って開示することに。

ちなみにこの塚のキーワードは、足。

この素朴な参道がいいんだわ。神代から続く小径のようで。

左手に社が見えています。真正面には、ご神体の葛城山。

いちごんさんから徒歩一時間で、葛城の中枢部の高宮に辿り着きます。そこから南下すると、鴨氏の領域。
葛城氏と鴨氏については、同族嫌悪めいた距離感を覚えます。

高宮のあたりとは、葛城氏と鴨氏の緩衝地帯として、不可侵の場だったのかもしれません。

高宮で生まれたのは、我が最愛の葛城磐之媛。
古代豪族葛城氏のグレートマザーです。

暴れはっちゃくの雄略天皇、その御世には、葛城氏が優勢に立っていた証拠。

雄略天皇が葛城氏の長である一言主神に瓜二つだったとは、雄略天皇自身が葛城氏の血を引いているので事実であってもおかしくないのですが、敢えて寄せていったのでしょう、雄略天皇は葛城氏の長に。

身も心も権力も、いつか乗っ取り、奪い尽くしてやる、と。

新緑がすんばらしい。ちなみに私、写真の色の編集はしません。見えたまんまの新緑の色です。

拝殿。その奥に見えませんが本殿。そして背後に迫る、葛城山。もともと神籬(ひもろぎ)も山頂にあったそう。

拝殿と、社務所と、樹齢1200年の大銀杏。樹皮が乳房みたいな大銀杏、子授けと子育てご利益のご神木です。

拝殿の右脇、ここにも蜘蛛塚。謡曲『土蜘蛛』の説明看板がありますが、その謡曲を取り上げると葛城氏の本論から逸れてしまう。

十代のころに謡曲を習っていた私、能楽にはちょっとうるさい。

見世物チックな作者不詳の『土蜘蛛』より、大和で生まれ育った世阿弥が手がけた『葛城』こそ、古代豪族葛城氏の真髄を照らすもの。

しかも、その舞台は、雪なのです。謡曲『葛城』の古名は『雪葛城』。

世阿弥の視界に展がる神代の雪降る葛城、なんて冷たく寂しく澄み渡り、美しいのか。

歌舞音曲と詩歌と文学と史学を究めた世阿弥は、先ず、真正のシャーマンであります。時空を超えて、彼は敗れた者のたましいを、ひとしずくも漏らすことなく掬い上げ、救うのです。

是はふしぎの御事かな。さては昔の葛城の。神の苦しみ尽きがたき。

世阿弥『葛城』(古名『雪葛城』)


しかし、狎れ合いより孤独を選んだ葛城磐之媛のエピソードと混同されたのか、雄略天皇のころには偉丈夫の男性神だった葛城の神、世阿弥が生きた室町時代にはすっかり醜い容貌の女神に変容していました。

もろもろの意味で、いちごんさん、酷い扱いを受け。

なんでここまで葛城氏は貶められてしまったのか。

ふたつめのこの塚のキーワードは、胴。

だんだん謎が解けてきましたか。

いつからかいちごんさんは、たった一つの願い事を聞き入れてくださる神となり。

さて、最後の蜘蛛塚、はたしてどこに?
それは人目に触れる場所にはなく、なんと、本殿の地下に埋もれているのです。

だから、最後の塚のキーワードは、首。

神武天皇が、打ち負かしたまつろわぬ民を、二度と生まれ変われないように、頭部と胴体と手足(蜘蛛は腕も脚も同じなので)に分断し、それぞれを隔てて埋め、巨岩で封じたのです。

つまり私が参道から本殿まで辿ってきたのは、まつろわぬ民の八つ裂きにされた亡骸からしたたる血の跡。

――ひっでぇことしやがる――

侵略者とは、虐殺者でしかない。

しかし、もうそれは神代の昔の話で、2000年も時が経ると、それだけ神武天皇は葛城氏を恐れたと、反って葛城氏の威力を推量できるのです。
生まれ変われば必ず侵略者へ一矢報いる、絶対に再生を阻止しなければならない、それほどの実力を誇った先住民だったのだと。

そう、核兵器で一掃するでもなければ民族淘汰なんて不可能で、こうして生き残った人びとは勇猛果敢に闘って殺された一族の長の遺体を護って、護り続けている。

葛城氏は、強い。
負けたって、強い。

大和盆地にこれに似た伝説があり、葛城市の長尾神社と大和高田市の龍王宮と桜井市の大神神社の三社は、一匹の龍の尾と胴と頭です。

あれ? つまり、龍も、八つ裂きにされた?
いや、龍は地をくぐって一繋ぎ。
すると、土蜘蛛は?

龍と土蜘蛛。
Dragonquest and Spiderquest.

これ、誰か研究してくださいませんか?

葛城山に向けて矢を放つ雄略天皇。この令和二年に建立された像、苦み走って、かあっこええ! のです。
ワカタケル大王、物凄いイケメン!
つまり、ワカタケル大王と瓜二つとされる当社の主いちごんさんも、こういった容貌と認識して良いはず。

拝殿の右脇に小さな祠が並び、この雄略天皇像が木立ちの中央に。

主人が蛙や蜻蛉を捕まえ、私と息子は黒揚羽蝶に尿をかけられ、猫のしっぽくらいの巨大毛虫が蟠る、自然豊かな木立ち。

脚長蜂と遭遇した息子、無言で逃げ出していきました。
息子は5歳のときに刺されて以来、蜂が大の苦手なのです。

授与所で御守を眺めていますとオニヤンマの精巧なフィギュア発見。
なんと、虫除けの御守とな!
「蜂除け!」と息子、目が輝く。

お宮のお内儀さんかと思われるご年配の女性が、私と息子のために新しいオニヤンマの御守を陳列され。
こ、これは! なんというお気遣い! いただかないわけにはいかない!
で、買いました。
「遊びに行くとき付けていく」と息子。
そう、これ、ブローチなのです。ちょっと私も拝借しようかな。

参道の直売所、行くときから気になっていました。なぜって、吐田米が置いてあったので。吐田米とは、旧吐田郷産の米で、金剛葛城山系の綺麗な山清水で育まれた幻のお米なのです。なにしろ京都の料亭に買い占められ、地元でもなかなか入手できないくらい。
まーさーか、ここで回り逢うとは!

直売所でも、野菜や山菜は店の前出しで、お金も店頭の筒に入れれば良いのですが、吐田米だけはご亭主の目の前に置かれ、ご亭主の手を通らないと買えないのです。

「味は絶対に保証します」とご亭主。
昼間から一杯やって名調子のご亭主、うちの主人が羨ましがっていました。
幻のお米5㎏を大事に抱え、いちごんさんを後にしました。

またお参りに来よう。
いちごんさんからのお下がりです。