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2022.5.4 夢の淵へ 吉野宮滝遺跡

2022年5月4日みどりの日、県道37号桜井吉野線を南下し、南に背山と北に万古斧鉞の妹山樹叢を隔てる吉野川に到着。
南都吉野の名高き妹背山です。
裏道である桜井吉野線を使えば、奈良市街から1時間で吉野に着けます。
早朝でもあり、渋滞知らずです。

宮瀧遺跡がお目当てですが、早く着きすぎたので寄り道。
おっと、道を間違え、川上村まで行ってしまいました。

東吉野村の丹生川上神社中社へ。
本殿向かって右の丹生の真名井。水の神様の恵みの水をいただけます。

丹生川上神社は吉野山地に三社。3年前に訪れたのは下社で、7年前に訪れたのは上社でした。

おいしいご神水でしたが、私と息子は帰宅後に下痢しました。
主人ひとり、神に愛でられたか、免疫力が高いのか、息災でした。

夢淵(ゆめぶち)。
吉野川の支流の高見川に日裏川と四郷川が合流する淵で、もともと水の祭祀場「斎淵(いみぶち)」が訛って夢淵と呼ばれるようになったと。
『The Emerald Forest』というタイトルの映画、思い出してしまいました。

2016年の夏、息子5歳、この美しいせせらぎに到達する直前、蜂に刺されたのです。
息子、半狂乱で泣き叫び、最寄の文化施設で応急処置後、帰路につかざるを得なくなったのです。
「あんな取り乱したこと、ない」と息子。
私も、穏やかな息子を育てて11年、あれが唯一の錯乱ぶりとしみじみ。

「龍のお母さんて3人いてて、ここのお母さんがいっちばん怖くて、いっちばん綺麗」と息子。
「上社のお母さんはどんな方?」と私。
「背が高くてめちゃくちゃ優しい」
「下社のお母さんは?」
「かわいい、モテモテ」
雨男の息子、想像とはいえ丹生川上神社三社の特徴をよく捉えています。

蟻通橋から中社の杜を眺め。
この高見川の夢淵で、神武天皇が鮎占(あゆうら)をした。
魚で吉凶を問うのは、吉野の国栖の天武天皇の片身のウグイの言い伝えでも。
今更ながら、神武天皇と天武天皇は似ている。
神妙となりました。

「今日は蜂に遭いませんでした。龍のお母さん、ありがとうございました」

「ここに来るの、実は怖かった。でももう大丈夫」と息子。
あんたAvengerだったのね。
良かったね、苦手が一つ解消されて。

途中、天誅義士の墓に黙祷し、吉野川を下って、紙漉きの里の国栖を越え、宮瀧へ。
吉野歴史資料館で先ず、地場固め。

象山が目の前、素晴らしい立地!
宮瀧、なんていいところなのか。
さすが吉野宮が構えられた地です。

職員さんもとても親切で、資料もたくさんいただけました。
令和4年吉野歴史資料館特別陳列、壬申の乱1350年記念「いかにして、壬申の乱は語られてきたか」。

史料がたくさん掲示されていて、それでも私が思うのは、「勝者が歴史を語るのは、何か間違ってやしないか」の悶々たるもの。

天武天皇ははっきり言って、壬申の乱になってようやく歴史の表舞台へ躍り出てきた人物。
しかし、実際に壬申の乱で活躍したのは、その息子の高市皇子。

虎に翼をつけて放てり。
私には天武天皇は虎というより、鵺(ぬえ)。

天武と持統、古代、二人の天皇が合葬された唯一の例。
ものすさまじい決意を放つ埋葬。
夫唱婦随など、無縁の。

天武は、持統ではないのか?
壬申の乱の発起人は、持統では?
虎とは、持統そのひとでは?

ああ、あかんあかん。
私の妄想、寝た子を起こしてはいけない。

川津鳴 吉野河之 瀧上乃 馬酔之花會 置末勿動

かわづ鳴く吉野の川の瀧の上の馬酔木の花そ末に置くなゆめ

作者不詳『万葉集』10-1868

吉野歴史資料館の前庭、上野誠先生揮毫の万葉歌碑。
この歌をこの地に選ぶあたり、上野先生の吉野への傾倒ぶりが推し量れます。

焼き杉板が木工業の町、吉野を掲揚しています。
資料館、貸し切りでした。ありがたく、贅沢な限り。

さて、宮瀧遺跡へ。
70回以上にも及ぶ考古学調査が行われた重要な遺跡。
縄文時代からすでにここでは社会が拓かれていて、応神天皇や雄略天皇の年代記にも「吉野宮」と記されているのは伊達ではないのです。

蘇我氏の残党と共にこの吉野宮で持統天皇が幼少期を過ごしていたとしたら、あの頻回の吉野行幸は一片の疑問もない「帰陣」であり、この地が壬申の乱の揺籃に選ばれたのも全くの異論なし、です。

吉野川のせせらぎ。
陽光の満ち引き、瀬を飾る奇岩、水の色を紺碧から蜉蝣の翅の色まで面差しを変えて移ろいます。

陽ざしはもう春を追いやり、私は色が白く皮膚が薄いため、熱中症の手前の眩暈がしました。

眩暈がしたのは、もうひとつ。
この極めて美しい渓流に気が呑まれそうだったから。

上流にダムがいくつもできたため吉野川はおとなしくなりましたが、もともとは暴れ川。
古代はどれほどの勢いだったか。

それこそ神龍が雷鳴を引き連れ山を切り裂くように谷という谷を蹂躙して大海原を目指したのでは。

それを、櫛風沐雨、嵐に竦むことなく屹立し、睨めつけていたのではないか、持統天皇は。

提督、アドミラル、ペルシア語でマルズバーン。

強い。

そんなふうに生まれついた女、強くないわけがない。

「ママ見て! こんな青い色のシーグラス、初めて!」

こ、これは! Heart of Ocean! 蒼き海の心!
『タイタニック』の観過ぎ!

A woman’s heart is a deep ocean of secrets.

女の心は、秘めたる深き海。

持統天皇は、私が思うに古代史最大の人物です。
これほど己を抑制した王者も、ない。

宮瀧の青空を泳ぐ鯉幟。
とても大きな立派なもので、山雅にふさわしい威厳。

「ママ見て! 金太郎!」
「うわー! おめでたい!」

八隅知之 吾大王之 所聞食 天下尓 國者思毛 澤二雖有 山川之 清河内跡 御心乎 吉野乃國之 花散相 秋津乃野邊尓 宮柱 太敷座波 百礒城乃 大宮人者 船並弖 旦川渡 舟競 夕河渡 此川乃 絶事奈久 此山乃 弥高<思良>珠 水激 瀧之宮子波 見礼跡不飽可問

やすみしし 我が大君の きこしめす 天の下に 国はしも さはにあれども 山川の 清き河内と 御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に 宮柱 太敷きませば ももしきの 大宮人は 舟並めて 朝川渡る 舟競ひ 夕川渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高知らす 水激る 瀧の宮処は 見れど飽かぬかも

柿本人麻呂『万葉集』1-36