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2021.8.7 かへりみて暑かりし日はかがやけり

2021年8月7日、朝5時起きで、大和三山の天香具山のふもと、飛鳥まぁまぁ農園さんでのブルーベリー朝摘み体験に参加。6月の田植えでもお世話になりました。

集合時間8時、早朝は道が空いているので6時に出発すると7時前に着きました。日中は道が混むので自宅から明日香村まで2時間はかかるのです。

主催のかおりさんの車を追って、ブルーベリー畑へ向かいます。

綺麗やな。夏の盛りの飛鳥の田園風景。

集会所に車を置かせてもらいました。
ここらへんの地名、明日香村飛鳥。飛鳥のど真ん中です。

上はよそ様の田んぼ。下はかおりさんの田んぼ。
かおりさんは、一本ずつ苗を植えます。他の苗に寄りかかれない、だから鍛えられて、緑が濃い。

ローソン明日香奥山店。
正面の東、桜井方面です。このまま前に進めば、山田寺跡。

ローソンの手前の道を左折、傾斜の道を登っていきます。
中世の城跡の飛鳥城の近く、ブルーベリー畑に到着。

飛鳥は古代ばかりじゃない、中世の史跡、けっこうあります。
飛鳥城、中世にここらを仕切っていた飛鳥氏の本陣とのこと。

前もってブルーベリー畑に待機しておられた地主のMさん、「蜂と蝮に気をつけてくださいね」と。
そんなん、どう気をつけろと。

無農薬無肥料のブルーベリー、さあ、収穫スタートです。

食べ放題なので、収穫しつつ食べまくります。

「この木のブルーベリー、おいしいよ」
一本一本、味がちがうのです。

「実ったものはきちんと獲って、傷んで腐ったらかわいそう、きちんと獲ってあげないと」
Mさんから直々にレクチャーを受けた息子、無駄にしたくないと一生懸命ブルーベリーを摘みます。

9時前、収穫終了。野良仕事は、朝のうち。もう陽射しがカンカン照り。

「見て、いっぱい獲ったよ!」
息子と主人、それぞれ1㎏以上の収穫。
私は食べてばかりだったので、その半分くらいの収穫でした。

「ブルーベリー摘み、楽しい?」とMさんとかおりさんに訊かれ、息子も主人も大きく頷いていました。

3人併せて3㎏ほどの収穫でしたが、コンフィチュール用に1㎏だけ持って帰ることに。
それでも、とんでもない量です。

コンフィチュールとは、煮詰めないジャムのようなもの。
砂糖を多く使わないので、素材の味を楽しめます。

かおりさんの植えた稲、青々としています。
こことは違う田んぼですが、私たちが6月に植えた稲も同じ色をして、すくすく育っていました。

早起きは人生得してばかり。
まだ9時過ぎ。
さあ、これからどこへ行こう?

飛鳥からは車で30分、大宇陀温泉あきののゆへ。

久しぶりに訪ねたら、温泉プールにフィットネスジムにバーベキューコーナーが増設され、すごく活性化されていました。

「ここに一日いれる」と息子。「俺はここに泊まれる」と主人。
冗談抜きで、トレーラーハウス宿泊もできるのです。

お食事処。
お運びのバイトの若い子たち、思わず二度見するほど垢抜けた美男美女揃い。
この施設、ここで働くのは、ここらの若い子にはStatusなのか?
しかし、そこは自然豊かな大宇陀、美男美女とも所謂リア充、健やかな明るい子たちばかりでした。
みんなモテモテやな、きっと。

私のメニュ、鶏南蛮定食。
ここのお食事処は以前から安くておいしかったのですが、味も見目も格が上がっていました。

あー、主人のチャーシュー丼、撮り忘れた。味見すると、激ウマでした。
これは息子の唐揚げ定食。衣がパリッパリのサックサク。
「おいしい! また来たい!」と息子。
「ミーツー」と主人。
ミーツーとは、me too です。映画『帝一の國』で覚えたセリフです。

お土産処も奮っていて、なんと南伊勢名産の大内山牛乳を取り扱っているとは!
かなりの目利き、brainが、この大宇陀温泉にいるのでは?

大内山牛乳のモナカ。新鮮なミルクのいい香り。
私は大好物のフルーツ牛乳に舌鼓。

まさかまさかの桃源郷。
次は水着持って温泉プールに飛びこまないと。

まだ昼の2時。さて、どうする?

このなんてことのない風景、桜井市の忍阪(おっさか)です。オシサカ、オッサカ、オサカ、壬生部(みぶべ)の押坂部(おしさかべ)の本陣。日本古代史では、はずせない領域です。

木梨軽皇子、雄略天皇、舒明天皇、天智天皇、このあたりに縁が深い、錚々たる面々です。

安倍文珠院に行きました。大化元年645年創建の安倍寺。アベ、アヘ、アエ、これらの氏族のルーツです。
これは、特別史跡の西古墳の側面。

安倍寺、幼いころに訪ねたきり。祖母に連れられていたような。

ああ、この古墳、見覚えある、なんかうっすら思い出してきた。
私の母方の祖母は桜井市の出身なのです。

この西古墳、安倍倉梯麻呂の墓でほぼ間違いないでしょう。

なんて保存状態の良い古墳。勝手気ままに見学可能。
この古墳、古代豪族安倍氏の底力の結晶。石工を始め、並外れた能力集団が安倍の左大臣の墓を築き上げた。
大化元年の右左(うさ)の大臣(おとど)。
右大臣の蘇我倉山田石川麻呂も、きっと、これと同規模の墓を用意していたと思うのですが。

え、ブロッケン現象? 何この彩光?
あれれ、日本じゃないみたい。ペルシアっぽい。

インディジョーンズごっこ。こんなことしても叱られない、すんごい太っ腹な特別史跡です。

ここはもちろん、智慧の菩薩、文殊さまのお寺。御本尊は本堂に納められ、写真撮影は禁止です。

本堂の渡海文殊群像を拝観。
本堂に入った一瞬、絶句。こんな大きな文殊菩薩だったっけ?
圧倒されました。
それに、なんて、うつくしいのか。
ふたたび、圧倒。

快慶が手がけたこの文殊菩薩の美しさは、写真では表現不可能です。実物の美しさは、目も眩むほど。
リアル『日出処の天子』の厩戸王子です。

幼いころに見た記憶、ああ、文殊菩薩が乗っている獅子がかわいくて、そればかり見ていたような。

これは、智慧の仏の最高峰。
見飽きない美しさとは、快慶、お流石です。

西古墳の対墓とみられる東古墳。天井石、見捨ておけないものがあります。

東古墳。別名、閼伽井の窟。閼伽水すなわち仏に供える水のための井戸が湧いていたそうな。
古墳に井戸?
どういうこと?

古墳というより、地下水路、カレーズだったらどうしよう。ほんまにペルシアやないか、ここ。

さて、倉梯麻呂が建立した当初の安倍寺は、この地の南にありました。この地へは鎌倉時代に移ったのです。
なんでや? 誰か研究しているはずなので、今度文献調べてみよう。

安倍一族の王家の谷。理路整然とした印象を受けます。
海運や陰陽道に通じていく、安倍氏眷族の行方も読ませます。

展望台。安倍晴明の天文観測台とな。
ああ、この景色。二上山、浮御堂の水煙、形の整った耳成山
古代豪族の土木事業の立地は抜かりなく最高です。

ふたかみやま。私のルーツ。

私は祖母からは、ここ安倍や忍阪など、磐余(いわれ)の文化を受け継いだわけですが。

不思議な感覚です。
ここ磐余は、葛城からは敵地であるのですが。

ウォーナー伝説の顕彰碑、ここにもありました。

アメリカの美術史家ラングドン・ウォーナーについて、これはもはや「伝説」として私は認識しています。

原爆の攻撃から奈良や京都が免れた、それは、日本の文化財を守るためではなく、戦後の弁償として戦勝国が敗戦国のお宝をガメようとしたため、それが真相です。

ふざけたこと抜かすな。
私はそう叫びたい。
奈良や京都が助かって、広島や長崎が助からない、そんな不遜、誰が認められるか。

私が押し黙っていたため、息子が心配げに訊ねてきました。
「ママ、どうしたの?」
「黙祷してんの、8月だから」
私は目を瞑りました。

本堂拝観料には、本来、抹茶とお菓子が含まれます。
しかし、このご時世、お茶席はなくなり、代わりに団扇をいただきました。

お菓子「智恵のらくがん」はそのまま授与されましたので、展望台で食べました。

智恵って、なんなのか。
私は知れば知るほど、自分のバカさ加減に打ちのめされ。
知れば知るほど世界の悲惨さに、私は目つぶしを喰らわされ。

アメリカに見捨てられたアフガニスタンのことを思うと、無念で卒倒しそうになる。
日本の衰退にも、意識が遠のく。

もしかしたら、もはや「戦後」ではなく、「戦前」にあるのかもしれない。

それでも、私は考える。
今できる、最善を。

かへりみて暑かりし日はかがやけり

山口波津女