2019年3月10日、とうとう迎えたスクーリングの楽日。
深澤先生がご提示された、お水取りの良弁椿は糊こぼしとも呼ばれる紅白の椿。これら、連行衆のおこぼれの和紙の花です。
そういえば、この挿話から、文化財学講読Ⅱは端緒を切りました。
この時期にこの講義、「さだめ」の一言だったんだと、楽日つまり最終日に気取らされました。
朝早く、2番目に教室へ着いた私、前のほうの、すみっこの席を取りました。しかし、最初に到着されていた方から「一緒に教壇の前に座りましょう」とお誘いを受け、そうすることに。
時間があったので、学友会主催の相談室へ行きました。演習のポスターの作成の仕方や、卒論の体裁など、みなさんたいへん親切に教えてくださいました。
私の卒論のテーマは鎮壇具なのですが、そのテーマにかなり必要な情報を、学友会のNさんが教えてくださいました。
もう、びっくらぽん、でした。
ほんとうにテーマがより豊かにより濃く、また、凛と筋が通り、収斂されました。
私はNさんに何度もお礼を言いました。Nさんもとても喜んでくださいました。
学生相談会は、この夏のスクーリングから卒業生の卒論の閲覧コーナーを設ける予定だそうです。
「瓊花さんもぜひ再訪してください」とお声をかけていただきました。
「ええ、もちろん」と快諾させていただきました。
最終日の講義内容は、染色と雲、茜と藍、養蚕と遺跡、洛陽から卑弥呼へ贈られた蛟龍錦、蛟(みずち)は小さな龍、機織の埴輪、古代人は舟に乗ってこの世から旅立つ、お舟入、舟には旗、舟を挽きつつ歌う、挽歌、鑑真和上が良弁僧正へ送った手紙、中国人は薬をまず鼻で誰何する、すべてのエピソードがリンクしました。
深澤先生は、できることは、必ず実践する方です。この茜と藍で染められた絹糸、これが千年前も今もほぼ変わらない色なのです。
私も染色には興味がありまして、4年前の2015年、第一人者の志村ふくみ先生の作品群を確かめに滋賀まで出向きました。
深澤先生もご覧になったそうです。
「銀座のママさんが、志村さんのコレクションを寄贈なさったんだよ、すばらしいねえ」、と。
私も同じことを思いました。
志村ふくみ先生の作品を愛し、その身にまといつづけたママさんのおもてなしは、さぞかし夢のようなものだったろう、と。
その夢を、みんなのものとしてくださったママさんは、まるで菩薩のような御仁だと。
ママさんのお名前は、マリアさんとのこと。まさに名は体を表す。
午後からの講義は、聖武天皇と光明皇后の年譜、それから始まりました。
そして、深澤先生が関わっておられる奈良親子レスパイトハウス周辺地図を、配布していただきました。
奈良親子レスパイトハウスとは、東大寺の境内の宿泊所に、難病のお子さんとそのお母さんをお招きして、心と体を安めて、寧楽の都を楽しんでいただく施設です。
私は、もちろん、この事業のことは、ずっと以前から知っていました。
この奈良親子レスパイトハウス制作の地図も、実は、手に入れていました。
ああ、私みたいな俗物が関わってはいけないと、見てみぬふりをしてきた、そんな自分へ雷が落ちた気がしました。
地図には、春と夏と秋の、それぞれの季節感あふれる絵柄で、3パターンあります。
けれど、冬のバージョンは。
「子どもたちの体力が、冬では持たないから。冬の季節の奈良散策は、できない。だから、冬の地図は、永久欠番」
深澤先生の言葉に、ああだめだ、先生を正面に、私の目から涙がこぼれおちました。
そのまま、東大寺の成り立ち。
正倉院文書の『種々薬帳』の「夭折」の二文字。
同い年の聖武天皇と光明皇后。伏羲と女媧にも似たふたり。
念願の男子誕生。
それから1年も経たず、その皇子様は亡くなられた。
人の死は、それが幼いほど、悲しさも増します。
救ってあげられなかった、親なら、なおさら。
色の緑は「いとけない」「かよわい」の意味。
みどりご、生まれたばかりの命。自然界の色素では、緑だけがどうしても出せない。生まれたばかりの色だから、すぐ消えてしまう。
とどめておきたい、いかないで、志村ふくみ先生も仰っていました。
「逝かないで」、と。
東大寺の起源は羂索堂。名前もついていない小さな皇子様のたましいを弔うためのもの。
お水取りも、きっと、そう。
鑑真和上が大和へ。薬学の第一人者でもある和上。
ヤマトタケルの絶唱、「命のまたけむ人は」。
子どもたち、生きてほしい、すこやかであってほしい。
幼くして命が手折られることのない、そんな世の中を作りたい。
聖武天皇、この国の父である王者の、悲願。
平城京から東、ひつぎのみこ、東宮。
東大寺が見えます、いつだって、そばに。
不空羂索観音の双の掌に守られて、水晶がひとつぶ、1300年、まどろんでいます。
不空羂索観音は、聖武天皇の写し身といわれています。
水晶はもちろん、小さな皇子様。
もう、もう、涙がとまりませんでした。
深澤先生も、泣いておられました。
しめっぽくなったね。
深澤先生は笑って、午後の休憩の後、桃と法隆寺のお話を始められました。
桃は実も花も葉も枝も根も樹皮もすべて薬になる、不老不死の象徴。
桃は、死なない。雷だって、はねかえす。
落雷で焼亡した法隆寺。
柱に籠めた桃の種、再建された法隆寺は、斑鳩の里にいまもなお。
なんて、なんて、すばらしい。
希望でもってしめくくる、こんな講義は、一生に一度。
私、死んでも忘れない。
2歳半の息子と私。春日大社の参道にて。
講義が終わって、深澤先生と助手のSさんとお話をしました。
Sさんはとても気立ての良いお嬢さんで、スクーリングの3日間、野焼きの銅鐸を鳴らしてくださるなど、私たちのお世話を務めてくださいました。
私の卒論の話は、Sさんにも糧となったようで、知識を共有できてほんとうにうれしかったです。
深澤先生は、私の卒論のテーマを具体的に進める方法を教えてくださいました。
あと、「東大寺のレスパイトハウス、ぜひ訪ねてみて、瓊花さん」、と背を押してくださいました。
どうかたくさんのかたがたに奈良親子レスパイトハウスのことを伝えたくて、このブログを書きました。
私も息子とともに奈良親子レスパイトハウスをめざし、東大寺を訪ねます。