波斯へ

西域点描

ⒸO-DAN

シルクロード学のレポート課題のグレートゲーム、列強による19世紀中央アジアの覇権争奪戦、これは日本の現代史にもつながる壮大かつ過酷なPlayです。
帝政ロシアの強欲さ、大英帝国の狡猾さ、こういった手合いと同じ土俵に立ちに行く日本の高慢さ、そして、中国の非情さ。
敦煌や楼蘭や「さまよえる湖」ロプ・ノール、西域すなわち東トルキスタンこそ、中国の核実験に曝された地域です。西トルキスタンからアフガニスタンまで、どういった血道を歩まされたかは、言を待たず。

お医者さまばかりになりますが、私の知人の上海の方も北京の方も吉林省の方も台湾の方も、みなさんとても良い方ばかりです。だれかひとりでも知人がいれば、その国に対する棘がなくなるのでは。

「瓊花、おまえはむかし何の気なしに『あたしは基本的に人間が好きですね』って言うたやろ。俺はおまえのそういうところ、ええと思う」
肝胆膵外科の先生に唯一褒められたのは、それでした。
「瓊花さんは歴史好きやね。でも僕は日本史も世界史も苦手やな。なんでって、歴史って要するに『戦争の記録』やん。僕、人が殺されるの、楽しまれへんよ」
同業者やスタッフには手厳しくも患者さんにはとってもやさしかった下部消化器外科の先生が、ぽつりと。
どちらの言葉も、歴史を勉強しているとき、私の胸を駆け抜けていきます。

バーミヤーンの大仏が破壊されたとき、私も精神的に腰がくだけました。それでも私は、「お釈迦さまは、なんとも思わない。だってもともと我々は空(くう)なんだもの」と腹をくくったものでした。

私は特定の宗教に帰依はしていません。ただ、ごく若いころに「犀の角のようにただ独り歩め」の仏陀の言葉を知り、それを座右の銘の双輪のひとつとしているだけです。
双輪のもうひとつは、「この世に客に来たと思えば何の苦もなし」との独眼龍伊達政宗の言葉です。これは3歳か4歳かのとき、橿原神宮での初詣の際に買ってもらった参道に置かれた誕生日暦、12月16日生まれ、良弁忌に生まれた私への言葉です。

人が闘うさだめにあるのなら、孫子もクラウゼヴィッツも石原莞爾も、私は「生きる手立て」とします。闘いの意義はそこにあるはずだから。

戦争だって、人間がするんだよ。
ばかだよ、ほんとうに。
ばかだから、人間なんだよね。
ばかだから、勉強するんだよね。