いまはむかし、私は奈良の桜井の多武峰、談山神社で巫女をしていました。
世阿弥の足跡を辿って多武峰をたまたま訪ねてみたら、「巫女さんしてみいひんか」と神職の方にスカウトされたのです。
談山神社は、大祭の日には五摂家の殿様方が直参される、ばりばりの藤原氏の氏神の社です。
お祭りのその日、鷹司様か九條様か失念しましたが五摂家の殿様のおひとりが、二十歳そこそこの腰かけ巫女の私に問いかけてこられました。
「みかんこさん、私たちのご先祖様、存じ上げておられますか?」
「大織冠、藤原鎌足公でしょう?」
私は社の主祭神をそのまま答えました。
すると殿様は鷹揚に首を横に振られ、静かに笑って私を戒められました。
「いいえ、私たちのご先祖様は、淡海公、藤原不比等公です」
あと、こっそりと私の耳元へ言い諭されました。
「みかんこさん、あなたはお若い。山を下りて、世間に揉まれて、勉強しなさい、人間てものを」
私は、それから間もなく山を下りて、巫女を辞めました。
五摂家の殿様方はまさに「生きた歴史」でした。
不比等の末裔の殿様は私に「高みへ逃げず、現実を生きろ」との金言を賜られたのです。
これが、藤原氏なのです。
私は古代から上古、中世にかけての日本の歴史が大好きです。
応仁の乱で、もう、終わった感あり。
戦国時代が嫌いと言うより、戦国時代の軸に裏切りを据える考え方が好きではないのです。
人に裏切られたことなどない。 自分が誤解していただけだ。
名優高倉健さんの言葉です。
私も年々そう思い到るようになりました。
近鉄の秋versionのPRポスターを眺めて、「奈良は藤原氏が作った都だから嫌い」と仰った方もいたなと思い起こし。
藤原氏の何をあなたはご存じなのか。
それに直に触れたわけでもないあなたが歴史を貶めるとは片腹痛し、愚の骨頂。
歴史の何があなたを裏切ったのか。
あなたは裏切られるほどの逸材か。
私は黙ります。
黙って、飛火野の鹿と戯れます。