アレクサンドロス大王が褐色とブルーのオッド・アイ(片青眼)だったことは有名。大好きなスタアのデヴィッド・ボウイも薄茶色とブルーのオッド・アイでした。
ちなみに、私の母も、幼い頃に罹った病気で片眼が青いのです。
私には、オッド・アイは日常の光景でした。
金目銀目ともいわれるオッド・アイ。古代、どのように捉えられていたのでしょうか。民俗学での隻眼と同じ範疇だとすれば、もうお手上げ状態の情報量となります。
ただ、オッド・アイも隻眼と同じく、Minorityということは確かです。なにしろ歴史上でオッド・アイと確定される人物、かなり少ないのです。
鏡に映るおのれの金目銀目に、マケドニアの王子は何を思っていたのか。
なぜ自分は明白に他の者と異なるのか。
深い闇の中にいるのなら、光を見つけることに集中しなければならない。
Ἀριστοτέλης
賢人は、多くのことを気にかけずに自身を不必要に危険にさらさない。だが、重大な局面では人生さえも捧げる。なぜなら、特定の状況の中では、生きる価値がないことを知っているからだ。
行動力がある時、そこにあるものは何か。行動しない時、そこにあるものは何か。
勇気は、人間の第一の資質である。なぜなら、他の資質の土台となる資質であるからだ。
我々の性格は、我々の行動の結果である。
自分を知ることは、すべての知恵の始まりである。
アリストテレス大先生、あなたも、あなたの弟子のアレクサンドロス大王も、ギリシアの子。
哲学するために生まれた、ギリシアの子。