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すべての、白いものたちの ハン・ガン Han Kang : The white Book 한강 : 흰

Ⓒ河出書房新社

大和郡山市の特別な本屋さん「とほん」さんのホームページで知ったこの本。そして、この作家さん。
人生には、めぐりあったとしか言いようのない出逢いがある。

完膚なきまで破壊された街だったワルシャワで、自分が生まれる前に亡くなった姉と弟を持つ韓国人の女性作家がありとあらゆる「白いものたち」へ想いを寄せて書きつける、傷と、かさぶたと、血と、雪と。
ダイナマイトを発明したためやむなく殺戮の担い手になってしまったノーベルが、改悛と未来のために設立した賞、これほどふさわしい受賞者もいないのでは。

読み手である私の心にも叩きつけられていた雪にももう、目を閉ざさなくて良いのだと。

白い朝(抄)

 その人について初めて考えたのは、その日のことだった。

 この都市と同じ運命を持った人、一度死んで、破壊された人、くすぶるがれきの上で、粘り強く自分を復元してきた人、だからいまだに新品であるその人。生き延びた古い柱や壁が、その上に積まれた新しい壁や柱とふしぎな形で抱きあっている――そんな形で生きてきた人。

한강 : 흰

彼女

 その子が生きのびて、その乳を飲んだとしたら、と考える。
 懸命に息をして、唇を動かし、乳を飲んだとしたら。
 乳離れをし、おかゆを食べ、次にごはんを食べて成長していく。やがて一人の女になってからも何度となく危機を迎え、しかしそのたび生きのびたとしたら、と考える。
 しなないで しなないでおねがい。
 その言葉がお守りとなり、彼女の体に宿り、そのおかげで私ではなく彼女がここへやってくることを考える。
 ふしぎなほど近しく思える、自分の生にも死にもよく似ているこの都市へ。

한강 : 흰

ろうそく(抄)

 今、あなたに、私が白いものをあげるから。

 汚されても、汚れてもなお、白いものを。
 ただ白くあるだけのものを、あなたに託す。

 私はもう、自分に尋ねない。

 この生をあなたに差しだして悔いはないかと。

한강 : 흰

吹雪

 何年か前、ソウルに大雪注意報が出たときのことだ。激しい吹雪のソウルの坂道を、彼女は一人で上っていた。傘はさしていたが、役に立たなかった。まともに目を開けることもできなかった。顔に、体に、激しく打ちつける雪に逆らって彼女は歩き続けた。わからなかった、いったい何なのだろう、この冷たく、私にまっこうから向かってくるものは? それでいながらも弱々しく消え去ってゆく、そして圧倒的に美しいこれは?

한강 : 흰

白く笑う

 白く笑う、という表現は(おそらく)彼女の母国語だけにあるものだ。途方に暮れたように、寂しげに、こわれやすい清らかさをたたえて笑む顔。または、そのような笑み。

 あなたは白く笑っていたね。
 例えばこう書くなら、それは静かに耐えながら、笑っていようと努めていた誰かだ。

 その人は白く笑っていた。
 こう書くなら、(おそらく)それは自分の中の何かと決別しようと努めている誰かだ。

한강 : 흰

魂(抄)

 壊れたことのない人の歩き方を真似てここまで歩いてきた。繕えなかったところにはきれいなカーテンをかけて、隠してきた。訣別と哀悼は省略した。今までもこれからも、壊れたことはないと信じてきた。
 だから、彼女にはいくつかの仕事が残されている:
 嘘をやめること。
(目を開いて)カーテンを開けること。
 記憶しているすべての死と魂のために――自分のそれも含めて――ろうそくを灯すこと。

한강 : 흰

すべての、白いものたちの(抄)

 だから、もしあなたが生きているなら、私が今この生を生きていることは、あってはならない。
 今、私が生きているのなら、あなたが存在してはならないのだ。
 闇と光の間でだけ、あのほの青いすきまでだけ、私たちはやっと顔を合わせることができる。

한강 : 흰

わかれ

 しなないで しなないでおねがい。

 言葉を知らなかったあなたが黒い目を開けて聞いたその言葉を、私が唇をあけてつぶやく。それを力こめて、白紙に書きつける。それだけが最も善い別れの言葉だと信じるから。死なないようにと。生きていって、と。

한강 : 흰

ⒸCHEKCCORI BOOK HOUSE

韓国語は、むかし、岡林信康さんの『ペンノレ』を一回聞いただけで歌えてしまって、「韓国語、向いてるんとちがうか?」と言われたことがあるくらいで、そんなにご縁がなかったのですが、ハン・ガンさんの言葉はその母国語で知りたくなりました。

きっと、白く笑う、その通りに透きとおり、美しく慄え、物静かに燃える言葉なのだと思うのです。