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2023.8.26 神仏いつく島 竹生島

一泊二日の湖北の旅、早朝の琵琶湖を眺めて。
湖とは思えない広大さ、淡海、まさに淡水の海。

やはり湖北は水がきれい。
向かって左に見えるのは湖西の比良山でしょうか。
安曇川から拓けた湖西、南へ下れば近江大津京。
天智天皇とその息子の大友皇子の都。
わずか5年で灰燼に帰した、幻の。

敬服してやまない染色家の志村ふくみ先生は近江の出身。先生が物された作品群は、琵琶湖のうつろう色彩を映した、光の残照。

壬生部の葛城を名乗った中大兄皇子、天智天皇は、私と同じ産土。
大和の葛城から遠く離れた志賀さざなみの都を、終の棲家に、あなたは。

それはあなたの御意なのか。

歴史をさぐるのは辛いことだ。故人を偲ぶことも悲しい。だから万葉の歌人たちは、挽歌を作って、彼らの跡をとむらい、また自らも解放したのであろう。死者の魂を鎮めたのは、他ならぬ生者の心を静めることであった。

白洲正子『近江山河抄』「大津の京」

おはよう、ひこにゃん。
竹生島クルーズのため、彦根港まで来ました。

10時、彦根港から出港。竹生島行きは息子のたっての希望。「旅行は、お寺かお宮に必ずお参りするのが決まりやろ」と。
決まりってこともないで。

琵琶湖、岸辺の水の色は緑ですね。
藻の色? 水草の色?

出港とともにシャボン玉が空に舞い、航海士さんが船首が旋回し終わるまで手を振ってくださいました。
最前席の私と息子も手を降り返しました。
うれしいですね、手を振ってもらえるのは。

『琵琶湖周航の歌』が流れてきて。加藤登紀子、おときさんの声が胸に染みます。
なんていい歌なんだろう。

瑠璃の花園 珊瑚の宮
古い伝えの 竹生島
仏の御手に いだかれて
眠れ乙女子 やすらけく

『琵琶湖周航の歌』

まだ竹生島は見えない。

左、見えてきた!

船でしか来れない、だから島はどきどきするのでしょうか。
水という砦を越えずには辿り着けない、外界から隔たれた異空間。

瓢箪みたいな形、縁起がいい!
古来より聖地として崇められた証し。

息子、竹生島に釘付け。
「女の人の、お胸、ですか?」
……ほう、ふざけたようで、的を射たような。

不意に、2階の操舵室から航海士さんがヒョイッと飛び降り、その爽やかな湖の男の軽業に、私、『鬼滅の刃』の恋柱みたいに「キュン!」 としましたがな!

若いなぁ、航海士さん、なんて凛々しい。
竹生島の神仏に堂々と向かい合うようで、いや、竹生島の神仏に諸手で出迎えられているようで、まばゆいよ。

キャンプ講習で習った、もやい結び。本物を目の当たりに見れて、大感激。
働く人、皆、美し。

彦根港から竹生島まで40分。座席のクッションが快適で、おときさんの歌声を子守唄に、すぐ爆睡。だから40分もかかったとは思えません。

赤ぞなえの船は井伊直政号。
長浜からも竹生島には来れます。あと、琵琶湖西側の今津とも行き来できます。竹生島を挟み、船で琵琶湖横断も可能ということ。
滞在時間は、12時まで。急げ!

竹生島は神仏習合の聖地。仏教では弁財天が本尊、神道では宗像三女神のイチキシマヒメが祭神。そもそも竹生島、土着の女神のアザイヒメを信仰していた島なのです。
アザイヒメもイチキシマヒメも弁財天も、湖にふさわしく水の女神です。

竹生島神社。豊臣秀吉が寄進した伏見城の日暮御殿が本殿。国宝です。安土桃山時代の文化の粋、です。
これを京の伏見から解体して琵琶湖まで運んで、竹生島まで船に乗せて、また組み立てて。
関白の威信、自分が最初に大名として城を持った湖北一帯に知らしめたかったのでしょうか。

竹生島といえば、竜神拝所での「かわらけ」投げ。
二枚一組のかわらけ、一枚に自分の名前、もう一枚に願い事を書きます。

かわらけ投げは、ちょっと賭博性があるので、ここでの願い事は「勝運招来」にしました。

あー、湖に還った。
鳥居をかわらけがくぐると願いが叶うそう。
これ、風の加減で難しくって、みんな苦戦。意外と私の投げたかわらけ、鳥居の真下に留まったのが一番良い結果でした。

舟廊下、これも秀吉の御座船「日吉丸」の骨組を転用したもの。
秀吉、聖なる竹生島を我が物にしたつもりだったのでしょう。
天下人の我慾に当たって、なんか、船酔いしそう。

逆光でフレアがすごい。
神々しいとは思いますが、誰にだって光は平等です。

逆光すさまじき。
そういや、下船した瞬間、アオスジアゲハが私にじゃれついてきたな。
竹生島には、歓迎されているのかもしれない。

唐門。マジモンで、大坂城の唯一の現存遺物。当然、国宝。
最近、安土桃山時代当時の色彩で復元されました。

唐門、秀吉が築城した大坂城の復元図通り。秀吉の大坂城、黒ぞなえに黄金装飾の、めちゃくちゃかっこいいものでした。
私は宇月原晴明さんの歴史小説が好きで、『信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』や『聚楽 太閤の錬金窟(グロッタ)』を思い出さずにいられませんでした。

思えば、この旅のしょっぱなは、迷いこんだ関ヶ原。
私が人生最初に見た大河ドラマも『おんな太閤記』でおかげさまで、お市御寮人は夏目雅子、淀殿は池上季実子、それ以外のキャスティングではアカンようになりました。

令和の大河ドラマも史実の斜め上を行きたいのなら、せめて宇月原さんの独創くらいカッ飛ばしてほしいものです。
ただし、宇月原さんは学者並みの知識と見識と、何より歴史に愛をお持ちの方です。リスペクトなくして何一切語るなかれ、です。

久しぶりに宇月原さんの『安徳天皇漂海記』と『廃帝綺譚』、涙流しながら読もう。この2冊、えずくくらい泣かされる、超の付く名作です。
無論、『信長』と『聚楽』も読まいでか。

唐門の案内看板。
唐門は、宝厳寺に帰属するとな。ああ、舟廊下で神道から仏教へ移ったということか。何しろ竹生島、廃仏毀釈以前は、神仏溶け合って一体だったので。
本来、竹生島に林立する建物、お宮でもお寺でも、どちらのものでも良いのでしょう。
この自由闊達さと天衣無縫さが、水の女神の性格を代弁しています。

長い石段を登ると、聖武天皇勅願、行基菩薩開祖、日本最古の弁財天信仰の聖地、宝厳寺。
竜宮城みたい。弁天様が大人気なのは、世の男どものあこがれ、乙姫様に通じるものがあるからでしょうか。
現実の彼方の女。延いては民俗学の「水の女」にまで辿り着くかと。

弁天様の幸せ願いダルマ。一つ一つ顔が異なります。ダルマさんを選んで、中に願い事を書いた紙を入れ、御本尊に献じます。

もう11時30分。門前のお土産屋さんまで急ぎ足。
竹生島は長居できないからか、お食事処がありません。

息子は黒ゴマ、私はほうじ茶、主人は甘夏、それぞれアイスクリームを買いました。
アイスクリームはカンカン照りの日差しのもとで食べるのが正しい。

異世界に招かれた、まさに。
神仏いつく島、竹生島。

ああ、12時のお迎えが来た、シンデレラタイム。

伊吹山がくっきりと。
浅井岳、アザイヒメ、ヤマトタケルさえ打ち負かした伊吹山の神と喧嘩したのです、浅井のお姫様。

なんちゅう負けん気の強さ。好きやわ。いや、私のみならず万民がそう思ったからこそ、浅井のお姫様はこうして水の女神としてこの島に斎(いつ)かれているということ。

母なる琵琶湖の守り神、まさに。

我は湖(うみ)の子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと
昇る狭霧や さざなみの
志賀の都よ いざさらば

『琵琶湖周航の歌』

帰港も、若い航海士さんの軽業とシャボン玉と『琵琶湖周航の歌』でお出迎え。
最後までもてなしていただき、感謝です。
最高の夏の想い出。

帰港して、主人が観光船乗り場の職員さんから、今日の朝8時にテレビ東京「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」の撮影クルーが訪れたと教わり、出川さんのサイン色紙も写メで撮らせてもらっていました。
出川さんも竹生島へ渡ったのですね。奇遇。会いたかったなぁ。
ちなみにこの日は「24時間テレビ」の琵琶湖横断遠泳イベントの前日で、彦根市はゴール側で少々ざわついていました。

混雑する前に帰路に着けたのも、竹生島の水の女神様の御加護かと。

竹生島神社の御守、勾玉。華やかで上品な魔除けの赤。

宝厳寺のダルマ御守。これは御本尊に献じたダルマのかわいい分身です。

美味しいお土産は、糸切餅。滋賀に来たら必ず買います。お勧め!

あこがれの湖の都、もしかしたら寧楽の都より好きかもしれない、心のまにまに。