2024年11月23日、今年の勤労感謝の日のねぎらいは、星のお茶会。
あこがれの和菓子司「御菓子丸」さんの、鉱物の実。
このしつらえ、このおもむき、なんという美しさ。薄紙を破るのももったいない。
黒文字を枝とした白い鉱物の実、素材は甜菜糖と寒天と檸檬、杉山早陽子さん御手製の、時を経て化石となった果実。
和菓子のはじまりは木の実や果物と言われています。古代の実が長い時を経て、鉱物になり、現代に発掘された、という空想の物語から生まれた琥珀糖です。
鉱物の実 添え紙
パッケージを開ける前から、赤ワイン、檸檬、薔薇、そしてカルダモンとクローブの豊潤な芳香が漂っていた、紅い鉱物の実。
赤すぐりをベースにレモン果皮、カルダモン、クローブを加えたスパイシーな味わいの琥珀糖、紅い鉱物の実はハレの日のための限定菓子。今回は「勤労感謝の日」に合わせて発送させていただきます。
御菓子丸ホームページ
化石のような、ガラスのような、星のような、こんな美しいお菓子を人は作ってしまったのです。
琥珀羹は、煮て溶かした寒天に砂糖や水飴などの甘味を加えて固めた和菓子。「琥珀」「琥珀糖」「琥珀菓子」「錦玉羹」「金玉羹」「夏羊羹」など、様々な呼び名がある。クチナシの実で透明の寒天を琥珀色に着色することもあったため、この名が付いた。江戸時代は金玉羹の名称の方が一般的であった。
江戸時代、寒天の発明者である美濃屋太郎左衛門が凍らせたところてんと砂糖を混ぜて、最初の錦玉糖を作ったとする説もある。
琥珀羹は透明感のある質感を生かして練り切りなどを内部に含んで、水や川、空、夜空などを表現し、豊かな表現性を持つ和菓子として、主に夏場に多くの店頭で見られる。
Wikipedia「琥珀羹」
「映えるスイーツ」の代表格である琥珀糖の起源は、昔の中国まで遡ります。透明感のある琥珀色と独特の甘さから名づけられたこのお菓子は、純糖を加熱し、成型して冷却するだけというシンプルな製法で作り出されます。
中国文化の影響を深く受けた我が国でも、平安時代にはすでに琥珀糖が作られていました。風邪薬の一部として、また、「金平糖」や「飴」などの一種として広く親しまれていたのです。
江戸時代に入ると、その名前から文化的な美意識に訴える「琥珀糖」へと進化を遂げました。その華麗な外見と上品な甘さから菓子職人たちによって職人芸術として洗練され、その名声は広まりました。
現代の琥珀糖は、その美学から贈り物や祝福の席で大切に使われています。時間と労力、そして伝統と技術を感じられる一口サイズの芸術品で、味わいながらその深い甘さに浸ることができます。そんな琥珀糖を現代風にアレンジすることは、江戸時代からまったく新たな楽しみ方を追求することの一環でもありました。
相変わらず砂糖と寒天を使ったシンプルなお菓子ですが、色や香り、そして風味を変えて楽しむことも現在では一部になりました。見て楽しんで、味わって楽しむ。それが現代の琥珀糖です。
スイーツモール「琥珀糖歴史」
今年一年、なんとか不運の年を乗り越えられました。感謝です。
御菓子丸さんを知ったのは、昨年2023年10月15日に国営飛鳥歴史公園キトラ古墳壁画体験館で開催されたイベント「飛鳥★星まつり2023『 星の茶席』」で。
自然栽培のお茶を用いた台湾茶に、御菓子丸さんの鉱物の実が添えられていた、その紹介写真に、心臓を射抜かれたのです。私は残念ながら気づくのが遅く、お茶席はすでに満席でした。
飛鳥歴史公園のイベントは秀逸なものが多く、キトラ古墳の天文図壁画から星を主題に迎えるイベントは、宮沢賢治の世界に通じて甚だ魅力的で、日程が合えば参加するように努めているのです。
見栄えだけではなく、お味も最高。ほんとうに、果実を結晶化した化石、古代びとからの贈り物。
私から、働く私への、ねぎらいです。