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2022.4.2 それは神秘的 ―奥明日香を訪ねて Rainmaker―

2022年4月2日の午前の続き。
おなかいっぱい、午後の自転車旅、開始。

明日香村稲渕、義淵僧正開祖の五龍寺のひとつ、龍福寺。
ものすごい傾斜の門前。

こちら見学自由のお寺です。日本最古の在銘石塔で有名。銘の主は竹野王、長屋王の近親者とされる女性皇族。

掃き清められた境内。
高台から眺める飛鳥の風景は格別。
墓前の供え花が生き生きとして、信心されているお寺とわかります。

この写真、私のお気に入り。
肩を並べて語る父子。ちょっとのことが嬉しい。

関西大学飛鳥文化研究所。セミナーハウスだそう。こんな最高の場所で飛鳥の文化を研究できるだなんて、うらやましい。
そういえば、ちょうど50年前、高松塚古墳の壁画を発見したのは、こちら関西大学でした。

ここから飛鳥川沿いに南下する道、桜井明日香吉野線、一挙に空気が変わります。

せせらぎ、羽虫、木漏れ日、煌めく鱗粉のようなさまざまな光が視界一面を舞い、息を吞みました。

「しんぴてき」

主人を先頭に、私をしんがりに、まんなかで自転車を漕ぐ息子がたまらずこぼした言葉です。

あまりにも美しいものを目の当たりにすると、何もできなくなります。
写真を撮る余裕もなく、ただ美しさに囚われるがまま。
それで良いのです。

もう二度と見れないかもしれない光景。
それでもいい。

飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社。
あすかかわかみにますうすたきひめのみことじんじゃ。
名前と同じくらい長い石段で有名な、水の女神の社です。

赤ん坊に等しいほど幼いころ、ここへ参った覚えがあります。
いろいろ怖くて登れなかったはず。

私の目には垂直に見える石段。
男ども、私を残して、さっさと登って、こんのやろーども、です。

「ママ、山姥やのに、高所恐怖症」
息子よ、母は、高さだけに恐れ戦いているわけではないのだよ。

皇極天皇は即位した年に大旱魃に見舞われ、この杜のこの社に面した飛鳥川で祈雨に努め、結果、大雨を降らせたそうな。

人生一貫してPerformerだった女帝。
雨師、雨乞い師、君子がRainmakerの御職を張る、卑弥呼の昔に逆行するような。

人間などに天候は操れない。
女帝は雨が降るまで祈りをやめなかっただけだ。

それに気づいていたのは女帝のふたりの息子以外に、祖母とは真反対のリアリスト、吉野に本拠をおく蘇我宗家の家督を継いだ孫娘、鸕野讃良皇女。

祖母がこの杜のこの社で祈雨に努めたとき、孫娘はまだ生まれていない。

女帝は、もろもろの意味で、自らの領分に、「龍」を招き入れたのかもしれない。

決して、本意ではなく。

深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ。

フリードリヒ・ニーチェ『善悪の彼岸』

奥明日香、栢森(かやのもり)。
男綱と対をなす女綱。陰陽の綱は、水の女神の結界なのです。
結界を抜けたここらは、うららかに拓けています。

桜と綾なす、女神の首飾り。
きれい。うっとりします。

息子の右に福石。この石も綱同様、陰物だそう。
なんでもいいや、ほのぼのと美しいからもう。

加夜奈留美命神社。
かやなるみのみことじんじゃ。
覚えていないだけで、絶対にお参りしているのです、私。

シロハナニホンタンポポ。
日本の在来種です。感激。

石段、ちらほらと菫が咲き。
なんてかわいらしい社なのか。

拝殿の扁額がすごい。
木の皮でしょうか。何の木なんだろう。

奥飛鳥を訪ねて、本日の目的地、ごろ滝。
ここまで来ると吉野も遠くない。
壬申の乱の折、大海人皇子一行が走り抜けた道。

鸕野讚良皇女にしてみれば、我が陣に戻っただけなのか。

吉野に近くなればなるほど、持統天皇の存在感が増していく。

目標達成!
息子、晴れ晴れと大満足。

三時のおやつ、栢森の「奥明日香さらら」さんへ。

掘り炬燵の和室でまったり。あんまりまったりしすぎて、おやつの柚子ケーキと紅茶など、写真に撮り忘れ。
「椎茸、好き? 食べはる?」
さららさんの女将さん、自家製のふくふく肥えた椎茸を新聞紙に包んでくださいました。

「オーベルジュされてるんですね」と私。
「オーベルジュて! 何言うてはんの! そんなええもんちがうよ!」と女将さん大否定。
「え、でも、オーベルジュて紹介してある……」と私、もごもご。

さららさんの玄関に貼られた「火野出没注意」のステッカー。それから話に花が咲き、つい最近NHKBSの名番組『にっぽん縦断こころ旅』で火野正平さんが来られたことを教えていただき、ここだけの打ち明け話もたくさん話していただきました。

「正平さん、かっこいいですね」
「正平さんてあんた知り合いみたいに言うて!」
女将さん大笑い。
一見シュッとした女性なのですが、女将さんの中身は愉快千万。

笑い話ばかりした挙句、「とんでもない嫁さん、もろたね」と女将さんに言われた主人、苦笑いして頷く。

「民宿はコロナと一緒に開店して、開店休業やったの。でも常連さんから急かされて、ぼちぼち再開したの」
「へえ、次はこちらに泊まらせてもらおうかな」
「今日はどこまで行ったん?」
「石舞台から、ごろ滝まで」
「よう行かはったね。あそこは昔、郷の人みんなで水行もしてて、水の量もすごかった。今は流木が多なってアカンのよ」
「水行されてるんですね」
「水の神様の郷やからね」
「うすたきひめ神社の手前から、飛鳥川の空気が変わって」
「そうやろ、皆さんそう言わはる」
「うちの息子も、神秘的、って」
「ああ、わかるんやね」

奥明日香から平地の飛鳥へ。
まだ時間があるので、亀石へ。
なんでこんな囲いもなく自由におかれているのか、飛鳥の石造物群。

亀石がなんだか小さく見える。
息子、まじでデカくなった。

飛鳥資料館でレプリカの亀石にもたれかかっていた8歳の息子を、思い出してしまいました。

「ぼん、邪魔」と亀石。
「二上山のほう、向いたらあかんで」と息子。
亀石が二上山へ向くと盆地は水没する。
飛鳥の氏族と当麻の氏族、仲が悪かったのでしょうね。

「おら、やりました!」
天武と持統の檜隈大内陵へ、息子、報告。

ついでに鬼の俎へ。
私、よちよち歩きのころに訪れて以来。

『鬼滅の刃』の一刀石と勘違いしている息子。

子どものころは、真剣に飛鳥に鬼がいると思っていましたよ、私。

お向かいの鬼の雪隠へ。
ここらは車でも徒歩でも訪れにくいエリアなので、自転車が最適です。

まだ勘違いしている息子。
しかしこの暴かれた石棺、見せしめとしか言いようがない。

この道、どこだったのか。
高松塚古墳から石舞台目指してGoogle先生の言いなりで進んだ道。
平地の飛鳥で最も美しい道でした。

橘寺が見えてきました。
なんだかとても懐かしい。

橘寺の正門の桜。
「今日は楽しかった?」と問われているとして。
「ええ、もう、最高でした」と答えるしかない私。

奥明日香、大切な人と訪れるべき場所。

こんなにも近いのに、あんなにも遠い世界へつれていかれた。

それは神秘的。