2018年11月23日、奈良県の文京区? 奈良市佐保台、狭岡神社に行きました。鳥居の紅葉が眼福でした。
この神社の隣に、奈良県の公立高校トップの進学校、県立奈良高校が鎮座まします。
奈良県は奈良市と生駒市以外の市町村において少子化が止まらず、奈良大学の最寄り駅、高の原駅の東にある平城高校が統廃合され、そこへ奈良高校が移る予定です。
どちらの高校も、思うことは多々。伝統ある奈良高校の校舎がどうなるのか、まったく関係ない立場ですが感慨深く、その雄姿を目に納めたくなったのです。
古い古い創立90年を超えた、地味ですが威厳ある校舎に、敬礼。
新大宮駅から歩いて20分。ここは確かに駅近ではありませんが、氏神の狭岡神社から若草山まで望めて、風光明媚、閑静な歴史美観地区です。
未来ある人たちに、最もな道を、先に生きた者は用意すべきでしょう。
『古事記』の悲劇、サホヒコとサホヒメの叛乱。もともと、大和北部はサホの一族が統べっていました。狭岡神社は、サホの本陣といわれています。
なお、佐保は、サホともサオとも発音されます。つまり、サホのオカ、サオカとなったのだと。
狭岡神社、まさになだらかな丘陵です。
鳥居をくぐり左手に、サホヒメ伝承の鏡池。ここで生まれ育ったサホヒメを、垂仁天皇が迎えにきた場所だそうです。この池を鏡に、サホヒメがお化粧した、と。
サホは、サホヒコとサホヒメの母、オオクラミトメが治めていました。
オオクラミトメ、大いなる、闇を見つめる女。
サホ、巫女が支配する母権制の王国。
つまり、サホヒメを妻に得るということが、サホの領地を得ることと同義だったということです。
叛乱を蜂起するに当たり、サホヒコが先ず仕掛けたことは、妹にその夫を殺せとの、高難度な内容。
こんなこと、普通の女にできるのか?だいたい天皇暗殺なんて、よほどの能力者にしかできないよ?
などなど、私は小学生当時、サホの叛乱を『古事記』で知ったときから、サホヒメのpowerというか底知れなさを推量していました。
実際、サホの叛乱は、垂仁天皇とサホヒコの二人の男が利権をかけて一人の女、サホヒメを奪い合うもの。
しかし、サホと命運を供にすると決めたのは、ほかならないサホヒメ自身でした。
タイトルの「火中に立ちて問ひし君はも」は、ヤマトタケルに対するオトタチバナヒメの絶唱です。
しかしこれはそのまま、サホヒメから垂仁天皇への絶唱と置き換えられると思いました。
サホの本陣は、灰燼に帰しました。
サホの本陣、この狭岡神社は、サホの終焉の地でもあります。
叛乱の首謀者であるサホヒコの骸は、この地にうずめられている気がします。
サホヒコをサホから引き離すなんて、あまりにもむごい、つらいので。
サホヒメは、私の大好きな考古学者の森浩一先生が『敗者の古代史』で語られているように、垂仁天皇の手により若草山の山頂に眠っていると思います。
サホの女王にふさわしく、いまもなお、春を迎える山焼き、炎でもってその魂を慰撫されているのだと。
狭岡神社と若草山は、一つの視界に納まる近さです。
あら、僕、こんなところで何してるの? あれ、ここ、見覚えあるよ!
「パパがね、急におなか痛くなってね。ママの学校のそばだったから、トイレ借りたの」
今日は寒いから、みんなおなかこわしちゃったね。
ほんとうに今年は私には勉強しづらい一年でした。
あきらめかけました、特に今月は。
でも、ひょんなことで奈良大学の恩恵を被り、やっぱりここの大学の方はみんなやさしい、がんばろう、しんどいけど、がんばろう、そう誓い直すことができました。
森先生の本、読もう、久しぶりに。
私の反骨精神は、森先生の影響大です。
サホヒメさま、私もがんばります。
あなたのように、意志を貫きます。
さねさし相模(さがむ)の小野に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも
相模の野で燃え盛る炎の中に立ち、私の安否を気遣い呼びかけてくださったあなたよ。
弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)『古事記』景行紀