ならだより

2018.3.4 こころざしをはたして

昨日は桃の節句、雛まつりでした。私は次女なので、実家の七段飾りの雛人形は姉のもの。ずっと自分のお雛様が欲しいなと思いつつ、日本人形は怖いので躊躇していました。
このお雛様は「みかわ工房」というネット検索でみつけたお店で買いました。ほのぼのとして怖くない土人形で、すべて棗サイズの袋と箱に納まります。「なにも なにも ちいさきものは みな うつくし」との清少納言はうまいこと言うな、と。

もともと上巳の節句は、後漢の徐肇という男の家に三つ子の女の子が生まれたのが、それが3日後の3月3日に3人とも亡くなり、その3つの遺体を川に流して水葬したことが由来だそうです。土に埋めずに川に流すとは、留まる祟りを怖れてのことでしょう。

私には雛まつりは、絶対に自分のものにはならないお雛様をあがめさせられる、わびしいものでした。
流し雛とか疫病神みたいだな、人柱かも、などなど、いろいろ考えさせられこともあり、自分も含め「女の子っておそろしい」と、ずっと思っていました。

ポルターガイストも、ローティーンの女の子がいる家に起こりやすい。女のこどもには、世阿弥謂うところの「時分の花」の魔力があると思います。

2018年3月4日、奈良大学に試験を受けに来られた奈良大学通信教育部の先輩ツツコワケさんと、今朝、飛火野で鹿寄せをご一緒しました。

ホルンの音が響くと、大好物の団栗を目当てに、東の鹿園から来ました来ました、鹿たちが。おとなの観客も「来た来た来た」と歓声を。

鹿たち、もっとたくさんやって来ましたが、ぶれずに撮れているのはここまで。人慣れした鹿たち、奈良っておもしろいところです、ほんとに。

奈良公園の片岡梅林。今日の奈良は4月下旬の陽気。梅がいい香りで咲き誇っていました。梅はどんなに満開でもしつこさがありません。見習いたいものです。
それから、浮御堂の浮橋を抜け、十輪院の境内で一休み、奈良大学の学業のお話をしました。

私が先輩各位から収穫したいものは「こころざし」なのです。なぜなら、僭越ですが、「こころざし」あってこその私だからです。だから、奈良大学通信教育部における卒業論文は、私の「こころざし」の結晶です。
90点の高得点に光り輝くツツコワケさんの卒業論文、読みたくなりましたが、自分の「こころざし」を大事にしたいので、どなたの「こころざし」も、私の「こころざし」が全うされてから、拝読させていただこうと思います。

ツツコワケさんはひとことひとこと含蓄があって、私の馬鹿っぷりが際立ちました。「瓊花さんは、いろんなこと、見てますね」と至極あっさり指摘されたときには、「う!」と内心あせりました。あと、私や普通検索観音さんのブログの内容、ことごとく頭に入っているのだな、と唖然としました。さすがツツコワケさん、教職の方だと。

志を果たして いつの日にか帰らん
山は青き故郷 水は清き故郷

故郷(唱歌) 作詞:高野辰之 作曲:岡野貞一

こころざしをはたして。
ツツコワケさんの境地に、いつか辿りつけることを願いました。