クリスマスになると思いだすのは、お聖さんこと、作家の田辺聖子さん。
カモカのおっちゃんのモデル、ご主人のドクター川野が「あんたは要するに年がら年中クリスマス気分がええんやな」と、お聖さんを象られました。
この聖夜、みんながみんな上機嫌な心持を懐いてほしい。そう願ったお聖さんこそ、クリスマスがよく似合います。
お聖さんの恋愛小説の白眉、乃里子と剛の三部作。
1970年代から80年代にかけて描かれた昭和の男と女の色恋物語ですが、普遍的に面白い。
お聖さんが2019年6月6日に91歳の御長命を全うされたとき、「ダミアンやないか。さすがお聖さん、愛嬌たっぷり手に負えん、まさに地に降りた天使や」と、その昇天にしんみりしつつ、ゆかしくも感じ入りました。
お聖さんは古典・歴史・文学・哲学・処世・恋愛などなど、様々な分野を包括した、私にとって数少ない人生の師匠でした。
いや、師匠です、これからも。
下記、お聖さんの箴言集です。
おいしいケーキを作るように、夢とロマンにあふれた物語を作り続けたお聖さん。
人生というクリスマスを、早摘みの苺さながら甘く酸っぱく彩ってくださいます。
Merry Christmas!
My Dear Master!
生き方
自由で気取りがない、ということは、たぐいもなく気品のあることである。
批評しない、というのは気に入っている証拠だ。気に入らない理由はあげやすいが、気に入った、ということは言葉を失わせる。
女
わたしはかねがね、女と少年は同じような種族だと思っている。
女の底力は獰猛といってよい。
女をへこますコトバは究極のところ何もないのだ。
教養
想像力というのが教養だ。
自分を客観視できぬような人間が、なんで他者を洞察できよう。
教えるということは含羞なくしてできることではない。
素直というのは、理屈をぶたないことである。それはオトナの証拠である。
恋愛
恋というものは、生まれる前がいちばんすばらしい。
女というものは元来が、男に対して苦しみを与え得る存在でありたいと思っている。
私は、男でも女でも、一瞬、心を奪われる、というさまを見せる人がとても好きだった。
話しやすそうな、というのは、もしかしたら天性の性的魅力のことじゃないかしら?
結婚の相棒というのは、気楽な存在であるのがいい。気楽というのは、沈黙の責任をとらなくてもよいことである。
実在感のあるのが私は好きだから、手紙をもらうと、その人の心までもらった気がする。
一番のおしゃれ男は、「はらきたなき」所のない男である。
処世
世の中というものは皮肉で冷酷で、人の意表をつくようにできている。
スピーチや講演の上手すぎる人はイモ。
人が生きるとき、品がありつづけるには、かげで品のないこともしなくてはいけない。
文章を書くということ、特に自分のことを自分で書く、というのは、ナマ身の自分がいっぺん死ぬことである。
郷愁
いつもその町に住んでいるくせに、ふと旅愁を感じてしまう(それは人生の旅愁かもしれないけど)それがまつりの面白さである。
宴が果てる。たのしいことが終わる。そのとき、席を立つ、その立ちかたに、人間のすべてが出るものだ。