私のハンドルネーム瓊花は、奈良は西ノ京の唐招提寺に永眠される、鑑真和上ゆかりの白い花の名前です。
瓊花の見た目は、木に咲く紫陽花、でしょうか。
清楚なのに豪華、憧れの花です。私のハンドルネーム、実に名前負けです。
数年前になりますが、唐招提寺で初夏が見ごろの瓊花をひとりじめにして眺めた、雨の朝です。
2021年4月28日の朝一番、唐招提寺にお参りしました。と言いますのも、唐招提寺のHPで、4月22日すでに瓊花が満開と知り、おまけに30日には花が散るとまで。御影堂での瓊花の公開は、例年ゴールデンウィーク中となりますが、今年は開花がとても早かったので当然散るのもとても早いとの予想。
おまけに29日の天気予報は大雨。これは今日行くしかない、と午前有給で馳せ参じたのです。
小雨模様の西ノ京、写真家入江泰吉さん好みのwet-lookingで、新緑が匂ってきます。
雨の湿り気が、緑を色濃く豊かに見せます。
平日の朝イチ、誰もいない。
ひとりぼっち、なんて幸せ。
御影堂まで、瓊花の案内図。
9時10分前。まだ開いていない。
時間つぶしに散策、すると、藤棚に遭遇。
遠く、お寺の職員さんが玉砂利を均す音しか聞こえない。
私と藤だけが対峙している。
この充足感。
これはたまらん。透き通る初夏の新緑。
築地塀に著莪の花。鄙の豊穣。
9時、御影堂開門。私と2名の職員さんだけ。
いいんですか、贅沢やわ。
瓊花、大きいねえ、3mはあるかな。樹に咲く花だから、清楚なのに威厳がある。
雨で少し花が落ちたよう。でも、豪華、さすが。
瓊花の「瓊」は、「たいそう美しい」を意味。名付け親は、隋の煬帝でしょうか。
似ていますが紫陽花とちがって、瓊花は必ず五弁です。
素朴ながらその規律性が、中国の皇帝を虜にしたのかもしれません。
瓊花は隋の煬帝にたいそう愛されて門外不出となった花。しかし、蒙古襲来のせいで一時は全滅していたそう。
うーん、モンゴル軍が通った後にはぺんぺん草も生えない、まさに。
コロナ対策でマスクをしていて、しかも雨の中、瓊花の芳香は幽かにしか聞けず、それでもHoneysuckle(すいかずら)に似た冷たく甘い香りだとわかりました。
お寺のお土産物屋で瓊花のお香を買えますが、あれはでも実物の香りとはちょっと異なります。
樹に咲く花の瑞々しい香りは、なかなかお香では表し難いでしょう。練り香水とかのほうが、うまく表わせるんじゃないでしょうか。
鑑真和上遷化(ご逝去)1200年の昭和38年に、和上の故郷の中国揚州より瓊花が唐招提寺に贈られました。その1株が今は10株となり、まるで美しい女王と王女の群れのよう。
重ね重ね、隋の煬帝は良い趣味の持ち主だと思います。勝てば官軍負ければ賊軍、その諺通りの不遇な皇帝だとも。
唐招提寺では御影堂の他に御廟、上陸地の佐賀県、皇居、そして東大寺に瓊花は咲いています。
御影堂から開山堂を眺める。すばらしい、新緑の玉手箱。
開山堂には和上の御身代わり像。ご挨拶をして、講堂、鼓楼、東堂、礼堂の伽藍を眺める。
ここは心の掌(たなごころ)にすっぽりと納まる、私の天平の想い出箱。
やっぱり御廟に向かわないと。
うぬぼれうぬぼれ、私って和上に好かれているのかな、いつ来ても、ひとりじめなもので。
この苔!
苔生すとはこれいかに!
ふっかふか!
初夏の温かい雨が、滋養なんやね。
いちばんいい時期に来たかも。
こんな元気な苔、見たことない。
あおもみじ。
傘さしてくれています。
Isolation, 孤立。
Loneliness, 孤独。
Alone, 一人。
そして、Solitude, 孤高。
私は一人でいることが好きで、一人でいればいるほど自分が充溢する。
変わった子どもだと言われて育ちましたが、それが私。
IsolationとLonelinessは無縁で、Aloneが最も私に近く、Solitudeは天に与えられたもの。
こうして、絶景を独占できるのは、何か大きな力に招かれたと自負して、そこにSolitudeも雨として、私に齎された恵みでしょう。
瓊花は私の目指す姿。
直に目に見れて、幸せでした。
たとえ届かなくても、瓊花に出逢えた、それで幸せです。