家族が寝静まった真夜中にひとり懐かしく中原中也の詩を詠んだら不覚にも、わあわあ泣いてしまいました。
『生い立ちの歌』
Ⅰ
幼 年 時
私の上に降る雪は
真綿のようでありました
少 年 時
私の上に降る雪は
霙(みぞれ)のようでありました
十七〜十九
私の上に降る雪は
霰(あられ)のように散りました
二十〜二十二
私の上に降る雪は
雹(ひょう)であるかと思われた
二十三
私の上に降る雪は
ひどい吹雪とみえました
二十四
私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……
Ⅱ
私の上に降る雪は
花びらのように降ってきます
薪の燃える音もして
凍るみ空の黝(くろ)む頃
私の上に降る雪は
いとなよびかになつかしく
手を差伸べて降りました
私の上に降る雪は
熱い額に落ちもくる
涙のようでありました
私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生したいと祈りました
私の上に降る雪は
いと貞潔でありました
「ぎりぎりまで教壇に立たれて、ツツコワケさん、もう好きなことをされて過ごされたら良かったのに」
「ツツコワケさんの好きなことは、それ、生徒の前に立って、先生をすることだったんじゃない?」
ある日、奈良大学通信の先輩ツツコワケさんのことを私は息子と話していたのです。
息子からの返しに、私は言葉をなくしました。それから、息子に背を向けました。
見られたくなかった、悔し涙を。
なんて馬鹿なのか私は。何もわかっていなかった。
あの方は自身の人生を全うされた。
それを勝手に慰んで、馬鹿の極みだ、私は。
私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生したいと祈りました
私の上に降る雪は
いと貞潔でありました
私は「生徒」として、成果を挙げよう。
先に生きた「先生」のために。
『また来ん春……』
また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない
おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫(にゃあ)といい
鳥を見せても猫(にゃあ)だった
最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた
ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……