2021月3月20日、キトラ古墳壁画体験館での蜻蛉玉ワークショップ参加のため、橿原神宮前駅で近鉄吉野線へ乗り換え。
近鉄の「わたしは、奈良派。」のポスター、かわいいナルシス鏡の鹿です。
ご存じの方も多いでしょうが、キトラ古墳までは飛鳥駅より壺阪山駅から歩くほうが近く、道もなだらかでお薦めなのです。
ぶらぶら歩いても15分で着きます。
ちなみに、近鉄の奈良県縦断路線、京都駅から大和西大寺駅までが京都線、大和西大寺駅から橿原神宮前駅までが橿原線、橿原神宮前駅から吉野駅までが吉野線です。
春のイベント「恋する飛鳥」の一環、飛鳥時代の衣装展「万葉集と恋」。
藤原鎌足と安見子。推古朝の衣装はこの二人だけでした。特徴は、男女とも丸首の襟なし。
忍壁皇子と明日香皇女と女官。
隋唐の影響から、藤原京の時代は、冠は黒、袴は白、と決められ、着物襟の左衽からは高句麗の影響も加えられます。
天武天皇と持統天皇。皇族男性は、白袴ってこともなく?
さすが、天皇の二人、衣装の抽んでて高雅なこと。
天皇としての正式な装束は、この時代、確証はなく、白を基調とした装束だったのでは、と推測されています。
明日香皇女を悼む、というシーン。
忍壁皇子と明日香皇女は夫婦という説もありますが、私には「格が違う」としか思えないのです。
忍壁皇子には申し訳ありませんが。
右端、うちの息子の陰になっていますが、飛鳥時代の庶民の衣装です。
弥生時代の貫頭衣とあまり進歩がないような。
丈夫じゃないと、風邪っぴきでも死んでいただろうな、そう思わせるものがあります。
逆説的に、丈夫な者の遺伝子が連綿と受け継がれている。
それが民草の強みとも思いました。
特別企画「硝子展」。
これらは古墳時代の出土品。こないだキトラ古墳のアトリエで作った、古代硝子そのもの。
硝子の所有は権力の証だったのです。
ワークショップの講師の西川友敬先生の作品群。
これら素晴らしい蜻蛉玉を前もって知って、このワークショップの参加を決めたのです。
つららに白雪のような蜻蛉玉。ひとめぼれ。
西川先生のワークショップのタイトル、その名もずばり「飛鳥の流れ」。
さて、製作開始。バーナー使うなんて、初めて。どきどきです。
色硝子棒をバーナーの遠火で溶かします。なぜ遠火かといいますと、近火では煤が入ってしまうので。
溶けてきました。色硝子棒は、濃い色ほど、溶かすのに時間がかかります。
離剥剤をつけた鉄棒に溶けた硝子を巻きつけます。最初は先生がお手本で、一緒に巻いてくださいました。
細い色硝子棒で、模様をつけます。このひと味で、飛鳥の流れを自分で表現するのです。
できあがり。息子、初めてのバーナー作業にも、すぐ慣れました。
息子は西川先生に「できてる、できてる、大丈夫や」と何回も励まされて自信がついたみたいで、1個作り終えたらあとは自分一人で蜻蛉玉をすいすいと製作していました。
蜻蛉玉作り、予期せぬことが起こるもの、保険として3つほど製作。
私も色硝子棒が弾けましたし、他の方も製作途中で玉が割れたり、ドキドキしっぱなし。
でもたいへん楽しくて、あっと言う間に時間は過ぎました。
蜻蛉玉が冷えるまで30分時間待ち。
「恋する飛鳥」のイベントブースで息子は自作イラストを描き、それをマスクに仕立ててもらいました。
想像以上の仕上がりに我々狂喜。
お店の方も「僕の作品、デモとして店頭に飾ってもいいかな?」と。
息子も私も即答で応じました。
キトラ古墳の展望台。渡来人はこの辺りにどんな見取図を描いたのでしょうか。
実務に長けた彼ら、その軌跡も、夢のまた夢。
息子の作。フジツボ、シジミ、ウミウシ、潮干狩りのよう。
鉄棒から蜻蛉玉を剝がすのがもう、一苦労しまして、西川先生「こちらで用意されていた離剥剤があんまり良くなくて、僕が持参した離剝剤塗ったのが、このもたもたの原因です」と。
西川先生、若いお兄さんで、謙虚で飄々としているところが漫才師の中川家の剛兄ちゃんに似ていて、やさしくて、きちんと謝ることができる素直なこの先生に教えてもらえて大正解だったな、としみじみ。
息子「先生にまた習いたい」と。
私もです。
私の作。時間がなくて2個しか作れず。飴、土星、栄螺、食虫植物?
「面白かったら、オッケーです」と西川先生。
両方とも、色硝子棒を2色混ぜました。
ブツブツつけるの好きやわ、時間があれば全面埋めたい、そう思っていました。
日本初の硝子工房が明日香村の飛鳥池工房遺跡で発掘されたことから、春の展覧会「飛鳥は硝子のふるさと」が開催されたのです。
人が生み出す宝石、それが硝子のような気がしました。
火を扱うし、硝子も飛び散るし、危険を伴うのですが、それが心地良い緊張感を与えてくれて、ほんとうに楽しい、蜻蛉玉作り。
また飛鳥で体験したい、機会があれば、必ず。
昼食、キトラ古墳から高取町、歩いて15分、すこ。さんへ。
3月限定ワンプレートランチ目当て。
豚の生姜焼き、たっぷりサラダ、キャロットラペ、菜の花おひたし、白米と雑穀米の菱餅ごはん、薩摩芋の蜂蜜レモン煮、だし巻き玉子、ブロッコリのお惣菜、桜漬け、そして、具だくさんのお味噌汁。
春や~!
息子「どれもこれもおいしい!」と。
息子は飛鳥では絶対にすこ。さんでしかごはん食べない、と言い切っています。
実は、私もそうなんだよなあ。
だって、こんなにきちんとコロナ前から予約優先でお客を大切にされるお店だったもの、すこ。さん。
デザートは、昔ながらのプリンアラモード。とんでもなく大きなプリン!
甘さ控えめで玉子と牛乳が際立つ、なつかしい味。
お食事で既におなかいっぱいでしたが、さらにこのボリューム満点のデザート、すこ。さんは男性向きでもあり。
息子はデザートを食べたあと、眠気から目をこすっていました。
すこ。さんの美しいマダムに「おなかいっぱいで眠くなったの、かわいいね、赤ちゃんみたい」と。
すこ。さんには成人された息子さんがいらっしゃいます。
男の子はいつまでもかわいい。
これは息子を持ったお母さんの正直な思いです。
高取町は3月いっぱい、「町家の雛めぐり花めぐり」を開催しています。
すこ。さんも店先にお雛様を飾られ、お花もたくさん用意されていました。
いいなあ、春だなあ。
なんて幸せな催しなんだろう。
この世に生まれてきて幸せだと心から思います。
土佐街道を行き交う客人方、何人もすこ。さんに入りたそうに店を覗かれました。
「すこ。はシュッとしてないお店」と美しいマダムは仰いますが、そんなもの要りません、
これだけあたたかい、それで充分です。
みんな陽だまりを求めて、高取を、すこ。さんを、訪うのです。
社会性に富んだ城下町。豊かな文化が根付いた証拠です。
町家のお雛様。こちらは衣装の店まつむらさん。
壺阪漢方堂薬品さんのお雛様。
格子窓が、ドキッとします、お雛様を劇的に演出していて。
子嶋寺近くのなかよし雛。
飛鳥まで歩いていたのは私と息子だけ、自然あふれる贅沢な道程でした。
高取から飛鳥までの風景、なだらかで豊かな光景。
うららかな、古代の楽屋裏。
壺阪山駅にも、雛祭りの餅花と親王飾りが。
他にもたくさん高取の町屋にお雛様が飾られています。
写真撮るのも忘れるくらい、静かで平和な心暖まる催しでした。
「ママ、おら今日は、最初から最後まで楽しかった。ぜんぶ覚えておくよ、忘れない」と息子。
私も楽しかった、最初から最後まで。
コロナで飛鳥ばかり連れて行ってごめんね、と思っていたけれど、君はそんなこと思ってなかったんだね、私が見損なっていたんだね、反省。
「何か生まれる瞬間が好きって、ママいつも言ってるけど、おら、なんかわかったよ」と息子。
飛鳥は硝子のふるさと。
人が生み出す宝石、それが硝子。
それが息子もわかったみたいで、ほっこり。
私に与えうる限りの「生誕」の瞬間、それだけが、私が息子に贈れる「財産」なので。
想い出だけが、人生の宝なのかもしれません。