2018年6月24日、国営平城宮跡歴史公園に行きました。いざ、全長30メートルの遣唐使船へ。
実際に乗ってみると、とても狭いです。この規模の船で荒海を渡ったかと思うと、正直、ゾッとします。
入唐とは、月へ行くのと同じレベルだったのでは。
遣唐使船から朱雀門が見えます。この日ははあっさりと、国営平城宮跡歴史公園のアプローチ、朱雀門ひろばで遊ぶことにしました。
朱雀大路から朱雀門、そして朱雀門のまたくぐり、大極殿を望みます。国営平城宮跡歴史公園、広大です。
平城京は、平安京へ遷都されてまもなく私有地化され、以降は田んぼになってしまったので、遺跡が好条件で発掘されたそうです。
捨てられた都、だったのです。やまとのことは、夢のまた夢。
平城宮いざない館。歴史体験のガイダンス施設です。遺跡展示の博物館でもあります。さすが国営施設、入館料は不要。
体験学習のコーナー。息子は奈良にちなんだ絵葉書を作成。鹿のイラストを即座にチョイス。
ほかにも、匂い袋講座や、鹿のアイシングクッキー講座も予定されていました。
図書コーナーも設けられ、近所なら通い詰めたくなります。
奈良を訪れた一番の理由は、長屋王邸跡に建てられた商業施設、元イトーヨーカドー奈良店である、ミ・ナーラを訪れることでした。
先週の日曜日、イトーヨーカドーが撤退し、新装開店されたミ・ナーラに初めて訪れた際、ガラス細工店「KIRARI」で偶然に、吉野の国栖の里でパート・ド・ヴェールの技法でガラス作品を制作されている「so-ra工房」山田裕子さんの作品群を見つけたのです。
昨年の夏、国栖の里体験フェスタで、私たちは紙漉きを体験したのですが、来年つまり今年はぜひ山田裕子さんの工房でガラス製作を、と計画していたのです。
しかし、ミ・ナーラの「KIRARI」の店員さんから、山田裕子さんは今年2月にご逝去され、パート・ド・ヴェールの作品群ももはや貴重な遺品となりました、と。
私はショックで、先週は茫然自失の心地で帰路につきました。
パート・ド・ヴェールは古代メソポタミアから伝わる幻の技法。日本でそれを素人にまで教えてくださる稀有な先生、それが山田裕子さんでした。
今週、ミ・ナーラへ向かう前に立ち寄った国営平城宮跡歴史公園、そこで思ったことは、山田裕子さんの遺されたガラス、ぜひ買わせていただこう、そして、私の手元で大事にしよう、それでした。
もともとそのつもりで訪れた平城京ではありましたが、いつか私もみんなも都でさえも、秀吉が詠んだように夢のまた夢、それだからこそ確かなものをつかもうと、思いを固めることができたのでした。
国栖の里で産声をあげ、寧楽の都で私を待ってくれていた、ガラスの海か空かで遊ぶ金色の鹿。しばし今生の友として。
露と落ち露と消えにし我が身かな浪速のことも夢のまた夢
豊臣秀吉辞世の句