2018年3月23日、金曜なので私も主人も仕事は休暇をもらい、「またも!」の場所へ向かいました。
平城宮跡歴史公園、23日は開園前日。奈良天理桜井の街並みを通り抜け、さて行き先は……?
また来ちゃったね、音羽山観音寺。
ならリビング主催の念珠手作りイベント、2回目はないでしょうの諦観で応募したら、なんとすんなり当選してしまったのです。
イベント担当の方も「瓊花さんご一家だからといって、優遇なんて一切していません。ほんとうに幸運だったのですよ」と。
「やっぱり大人気イベントなんですね」と私。
2回目なので、山道の傾斜も覚悟の上。しかし、やっぱりきついな~! 汗だくになりました。これまでの寒の戻りの風雨が嘘みたいな素晴らしい晴天。私は晴れ女なのです。
副住職の慈瞳さんが息子を見て「僕、覚えてるよ。また数珠作りに来たの?」と笑って迎えてくださいました。「うん」と息子は到って真面目に頷きました。
参加者は25人、またも子どもは息子1人。息子はまたまた颯爽と玉を選び、玉を組み、慈瞳さんに紐を結んでもらいにいきました。「今日は青い龍がテーマだよ」と。
息子はまたまた周囲からべた褒めされていました。うーん、確かにかっこいい配色。主人が「なんか俺、かぶってしもた」と。似てる、でも息子の数珠とちがい、主人の配色はランダム、そこに個性が。
私は春の息吹をテーマにしました。我ながら理想に叶った仕上がり。ご住職に「まあ、なんてやさしい色合い」と褒めていただきました。
数珠は本堂でご祈祷されます。今回の慈瞳さんのご講話では、本堂の御本尊の修復費用をいかにご住職が地道な努力で工面されたか、知ることができました。仏教離れの昨今、檀家を持たない観音寺が、どれほど人様に足を運んでもらえるか。NHKにたまたま取材を受け、それがここまで実を結んだのも、千の手に千の目を持つ観音様のお力だと。
道中、参道の普請がなされているな、と気づいていました。これも7月まで宿坊の予約が埋まっている、観音寺の御一門の働きゆえなのだと。それは元を糺せば、ご住職が歩いて踏みしめて、生まれた道なのだと。
お楽しみの「おとき」です。ご飯と粕汁はお代わり自由で、大喰らいの私は粕汁2杯ご飯3杯、ぺろり。ほんとうにおいしいのです、観音寺の食事。やっぱり山の水と空気かな。あと、作り手の皆さんが、つましく素朴に生きておられる、それが手膏として、食材に直に浸透するからでしょうか。
食後はご住職のお話。ご縁について。ならリビングでこのイベントがあると知っていても参加しない方、参加したくても抽選に漏れる方、抽選に受かっても来られなくなる方、そして今日実際にここに来られた方、ご縁はあります、確実に。それをつないでいきたい、と。
藤原鎌足が開基との由緒正しい観音寺。平安初期の大雨で山頂から崩れ落ち、それ以降ほそぼそと命脈を保ったと。後藤密榮ご住職こそ観音寺の中興者、私はそう思います。
それにしても、道は人を選ぶけれど、寺そのものは人懐こい、器の大きい、みんなが集まれる、あたたかい場所ではあります。
山から降りる労力は、登る労力の5倍! 山歩きが不得手な方は、だいぶ覚悟の下山となるでしょう。
慈瞳さんが「誰でも登れる、でも、誰でもが降りられない」と仰る通り、すべりやすいコンクリートの道。私は山女ですが、太ももの筋が張りました。
道幅も細いですし、片側は崖で、足を踏みはずすと沢に落ちてしまいます。
だから、道の普請は、観音寺の切なる願い。
ここは、音羽百坊を数えた大寺院だったのです。
千年前の夢の続き、見られたらどんなにか。
桜井から大宇陀は近いので、山登りの後は恒例の温泉、大宇陀温泉あきのの湯を再訪。前回は故障で水道水を沸かしたものでしたが、今回は温泉水に戻っていて、さすがの湯のとろみでした。
土産処に、東吉野村の銘菓「杣づと」があり、迷わず購入。昨年夏、東吉野村を訪れた際、買いそびれたので。
あの村の川の美しさは息をのむほど。
天誅組の最後の決戦のエピソード、東吉野村の現地に立つと、武者震いがします。こんな静かな村で、あんな惨劇が、と。
丹生川上神社中社、翡翠色に澱む水、龍神も窺っていたであろう悲劇、と。
大宇陀の春といえば、又兵衛桜。開花にはまだ早いでしょうが、眺めに。
すると、びっくり、黄昏時の薄明かりの中、熟れに熟れた蕾が妖艶に色づいていました。
これは、見てはいけないものを見てしまったような。
春来る鬼、何かを始める威力なのでしょう。