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生きてまた、会いにきたのだと、ペルシア語で。

イラン大使館のペルシア語講座は、11クラス用意されています。4年間かけて上級まで辿り着けるかどうか。しかし、挑戦するにふさわしい課題だと思うのです。

語学習得には辞書は必須。ひよっこなので単語帳でなんとか賄えられていますが、そろそろ本格的なペ日・日ペ辞書が欲しくなってきました。

ヘレニズムやシルクロードの歴史と文化を学ぶにペルシア語習得は正しい選択。中央アジアの言語の基礎なので。
バクトリア語にはギリシア文字が導入されている。古代ペルシア語やソグド語などは、古代オリエント共通語アラム語が下地。

言語は、その国の、その民の、心。

Marie Sophie ©Sheila Metzner

アレクサンドロス大王には、幼なじみのペルシア貴族の子女がいました。彼女の名はバルシネ。叔父に嫁ぐため、バルシネはペルシアに帰国しました。叔父が戦死すると、バルシネは別の叔父に嫁がされ、しかしその叔父もまた、戦死。
ひとりになったバルシネの前に、アケメネス朝を征服したアレクサンドロス大王が現れます。

マケドニアの王宮で無傷だった少年少女は、もういない。
アレクサンドロス大王はバルシネを側室に迎えました。
アケメネス朝の王妃でも王女でもない、帝国最大にして最強の軍事国バクトリアとソグディアナの姫でもない、一介の未亡人を。

アレクサンドロス大王がその生涯で純粋に恋した女性は、バルシネだけだったのではないでしょうか。
詩のように美しいペルシア語を話す少女、彼女が何を話しているのか知りたいと、少年は素直に認めたのではないでしょうか。
そして少女は少年に、応えてくれたのではないでしょうか。

生きてまた会いましょう、と、ペルシア語で。

The Passion of Rome ©Sheila Metzner

あなたが求めているものは、あなたを求めているのである。

ルーミー

日本とイランの仲介者として第一人者の岡田恵美子先生の名著『イラン人の心』は、人が人に頭を垂れるべきものを、いみじくも題名ですでに教えてくださっています。

私は夢でもいい、ペルシアの広大な大地に散った心を、拾いあげたい。


生きてまた、会いにきたのだと、ペルシア語で。

傷とは、光があなたのなかに入り込んでくる場所だ。

ルーミー