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愚痴ばかりの女 冗談ばかりの男

前田青邨『春山霞男』 Ⓒ伊豆市

古典『蜻蛉日記』を表現するに、「才色兼備だけど人として幅のない女」と「適当に見せて実はバリバリ有能な男」が結婚してしまった悲喜劇、に尽きるかと。
これはもう、男の圧勝、です。
で、表題にも揚げました、「愚痴」と「冗談」の対比について。

蜻蛉さん(『蜻蛉日記』の作者)は、十代の私にとって反面教師でありました。
「こんな愚痴ばっかり言ってるから、旦那に嫌われるんや。てゆうか、外の世界を知らんから、家のことばかり、旦那と息子のことばかりかまって、んで鬱陶しがられてまた嫌われる。アカンやん、アカンアカン!」と同級生と批評していたものでした。

で、『蜻蛉日記』を読めば読むほど、兼家の冗談好きの明るい前向きな性格や人たらしの才覚や実務に長けた能力に、するすると惹かれていくのです。
さすが道長のお父さんだな、と。
旦那を貶めるための愚痴が、反って旦那の魅力を知らしめることになるなんて、蜻蛉さん、やってられへん、かもしれません。

前田青邨『観画』 Ⓒ京都市京セラ美術館

あと、兼家の正妻の時姫の、妾(めかけ)の立場を考慮せず正妻である自分へ同情を募ってきた蜻蛉さんへ対して、「空気読め、バーカ」とも取れる、相手の弱みを的確に突く返答をするあたり、ああ道長のお母さんだな、と知れて、それはそれで蜻蛉さんの愚痴は日本史の糧となっているのです。

さて、私事ですが、うちの主人、愚痴を絶対に言わないのです。
遺伝か生まれ育った環境か、息子も、絶対に愚痴を言いません。
私はオナゴですから、精神安定剤として多少の愚痴も必須でした。が、それすら主人には認めてもらえない。
こんな男と20年以上も一緒にいると、こっちも愚痴を言わなくてもなんとかなるようになりました。
そして、とうとう私も、愚痴を言う人がすっかり苦手になってしまいました。

しかし怪我の功名、他人の愚痴を止める方法も、私はこの20年の間にマスターできました。
これ、偶然、元SMAPの中居くんも私と同じ方法を採っていたので、ちょっとうれしかったものです。
それは、愚痴の対象(人・物・行動・思想etc.)を敢えて褒めて褒めて、弁護して、愚痴っている人に返すのです。
この方法、だいぶ、効きます。
その人、もう二度と愚痴ってこない、私には。

蜻蛉さんのように愚痴を止められない。
そんな人は、愚痴っているときの私自身そうでしたが、不安な人、です。
蜻蛉さん、だいぶ、不安だったんでしょう。

真面目は美徳です。
しかし、不安を煽るように真面目ぶる蜻蛉さんより、冗談で場の空気を入れ替える、そんな気働きのできる兼家のほうが、やはり人間として何枚も何枚も、上手(うわて)です。