先輩ツツコワケさんとのやりとりで院政期を思い出したときに読んだ、この『古今盛衰抄』、大好きなお聖さん、田辺聖子さんが1975年に出された短編集『小町盛衰抄』を、『小町』から『古今』に改題して2017年に文庫化されたものです。
表紙は、私が中学時代に熟読した藤川桂介さんの小説『宇宙皇子』のビジュアル担当のイラストレーター、いのまたむつみさん!
いのまたさんの作品群の世界観、大好きでした!
みずみずしいのです、いのまたさんが描くと、すべてが。
さて、『古今盛衰抄』の一話、『日本第一の大天狗 後白河院』が、短編とはいえ如実に院政期の空気を醸し出しています。
平安時代は、初期と末期がドロドロですが、末期は貴族政治の崩壊も含まれるので、ドロドロがふつふつと煮詰まって、登場人物すべて、人外めいて、ほぼ妖怪。
初期の怨霊より、末期の生者のほうが、卦体(けったい)、です。
後白河院がいかに平安末期から鎌倉初期まで「独り勝ち」を極めたか、意外と、博打みたいなもので。
この食わせ者の大天狗は、はたして生まれついてのものか、周囲に立ち現われては消えていった魑魅魍魎めいた時代の徒花たちから日々吸収しつくしたものか、判然とはしません。
お聖さんの筆は、後白河院の人となりの根源を、その寵妃の平滋子の臨終時、なめらかにあぶりだします。
後白河院は、そのとき、しばしのありえない幸せが、なぜ来たのか、悟られたにちがいない。
それは短いからだった。
短いから、幸せ。
なんて、おそろしい。なんて、かなしい。
私のこの本の初見は、小学生でした。こんなこと知ったら、もう。
後白河院が非情なのも、道理だと。
フィクションでしか語れない真理とはこういうもので、お聖さんはつくづく、天才です。
危うきは、昔も、今も。
幸せだと思える瞬間を、蛍をつかまえるように、つかまえては、放すように、昔も、今も、危うきに遊ぼう。
それが私が歴史を学んで思うことです。